久米村(くにんだ)は14世紀末、琉球王朝の申貢のお礼として明国から贈られ、「三十六姓」と呼ばれる人々が、学問や技術指導のため移住してきた。三十六姓の末裔は、その後の琉球王国の歴史を通じて、進貢使、通訳(通事)等の重職につくなど、中国との外交、貿易において重責を果たし、久米村士族として独立した行政組織を持っていて、那覇の真ん中に位置しながら、那覇四町(ゆまち、西/東/若狭/泉崎)と距離を置き、那覇八校のうち那覇尋常(現上山中)、天妃など四校があった。