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安里川河口氾濫原干潟の塩田 |
潟原から汐渡橋を北へ渡ると、安里川の河口氾濫原の干潟が拡がり、泊高橋まで1本の道があった。右の干潟が前島塩田で、左の砂地が兼久塩田であった。兼久は安里川が運んできた砂州でもあり、塩田のほか農作物もよく育ったという。現在は前島塩田はもちろん、兼久塩田も海岸線はるか西まで埋め立てられ、北側は泊港湾施設になっている(
↓ とまりんが見える)。 |
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* ↓ の駅名をクリックすると、別ウィンドゥで画像を表示します |
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(本コンテンツの画像と記述は、加田芳英著「図説 沖縄の鉄道」と、絵・松崎洋作/文・船越義彰著「おきなわの路面電車」より出展) |