軽便与那原線(本線)〜与那原
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 軽便は最初に開通した与那原線の、途中駅から嘉手納線と糸満線が分岐し、那覇〜国場間を共用していることから、「本線」と呼ぶことにした。
 従って本ページでは一日橋〜与那原を紹介し、那覇〜国場は本(共用)線を参照されたい。

 与那原線は大正3(1914)年、軽便として最初に開通した。当初は那覇〜国場〜南風原〜与那原の4駅だったが、後に一日橋、宮平、大里が増設され9駅となった。那覇〜与那原間は汽車で32分、気動車で26分。

 与那原線は本島南部の西海岸から、東海岸までを横断し、東北海岸地方との物資流通に寄与した。与那原港を起点とし、中北部との物資が山原(やんばる)船で運ばれた。
Google Map 上に赤い(押)ピンで、駅跡と推定される場所を示したが小さく見づらいので、クリックして拡大して御覧になることをお勧めする 

一日橋(いちにちばし)
停留場(無人):大正4年増設、那覇市
国場から一日橋までは一面のススキの野原が広がり、民家のない野原を軽便がが走っていた

真ん中の赤いピンあたりが駅跡で、左半分の路地が線路跡

↑ 那覇/国場の上り方向、右側の空き地が当時の雰囲気を感じさせる ↓ 下り方向

南風原(はえばる)
停車場(無人):大正3年開設、南風原町
駅はキビ畑の中にあり、周辺の農家が砂糖小屋で黒糖を製糖し、砂糖樽に入れて駅まで運び込んだ

ピンの右手途中から東の下り方向に、次の宮平駅まで線路跡が路地として残っている

↑ 左(西)方向が上り、↓ 下り方向に線路跡が路地として残っている

宮平(みやひら)
停留場(無人):昭和11年増設、南風原町
南風原から宮平までは低湿地で、台風や大雨で浸水を繰り返し、軽便が運休することもあった

右方向の弓のような上弦のカーブが、線路跡の路地で上り方向、右斜め下の道路が下り方向

↑ 上り方向の線路跡路地 ↓右手の斜め右カーブが下り方向

大里(おおざと)
停留所(無人):大正6年増設、南城市
駅周辺に何もないキビ畑で、南風原から与那原までの直線区間に、大里より大きな我那覇集落があるが、
南に大きく迂回し廻り道しているのは、我那覇周辺の起伏を避けたものらしい

左にまっすぐ延びる道路が上り方向の線路跡

↑ 上り方向の線路跡、↓ 下り方向のキビ畑にも線路跡の痕跡?

与那原(よなばる)
停車場(有人):大正3年開設、与那原町
開通当初はやや上り側に仮駅舎、翌年に東寄りに移設し昭和6年には軽便唯一の、鉄筋コンクリートに改築された

現与那原町役場 ↑ 北東側に駅があったが、↓ ちょっと港まで遠い場所だ

↑ 左の路地が線路跡で、この先に駅があった ↓ 町役場前の階段道を下った先の辺が駅跡