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 三重城(みーグスク)は、倭寇に対する防御のために、那覇港の入り口に16世紀に作られた城塞である。湾口の反対側にも屋良座森城(やらざむいグスク)が作られ、対をなして海側からの進入に備えている。
 海への備えとして湾口の奥の見物(御物)グスクや、波の上の端グスクも使われ、更に浮島の那覇の対岸に嶽グスクも位置している。
 当時は、沖の琉球石灰岩の岩礁に石積みの要塞が作られ、長い海中道路で結ばれ小橋・大橋・仲の橋・ツキ橋の4つの橋があった。
 三重グスクは後に船旅の乗客を見送る場所となり、航海の無事を祈る拝所(ウガンジュ)も作られた。
←樹木に囲まれた部分が三重グスク跡

↑左上:屋良座森城 中上:三重城 右下:見物城
←中上:波の上端城 右下:嶽城

 ↑浮島に旧那覇(なーふぁ)四町、浮島の北端の波の上端グスクが見はり場所、1909年に侵攻してきた島津水軍を発見し、湾口の三重城と屋良座森城で迎撃し、港への侵入を阻止した。

↑北斎が沖縄を見ず描いた三重城。明の冊封使が入港した折に、右下の迎恩亭でもてなしたという。
 下右図は上里隆史氏の屋良座森城の想像図で、鉄鎖を三重城と結んで島津水軍を阻止し、火矢で攻撃したらしい。
←御物城は旧名が見物城で本来は宝物の保管場所であった。
 下左写真は復元された三重城。1993年NHK大河ドラマ「琉球の風」のオープンセットとして読谷の海岸に作られた。

屋良座森城のことは上里隆史氏のブログが詳しい

お待たせしました、これより現在の三重城の写真です;
石段上の鳥居をくぐると、海上保安庁の信号塔があり、その奥の崖っぷちに、小さな拜み所が見える
拜み所には女性(現代のノロ?)が二人、祠を清掃しお供えを飾っていた

↑いまは埋め立てられ、奥武山公園と陸続きになり、その先端部分の見物(御物)城は、米軍軍港に接収されている。 見物城は上里隆史氏が潜入したブログに詳しい
←対岸の米軍軍港内に、屋良座森城と思われる痕跡が?


        


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