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福州園
 
 琉球王朝(その前の三山時代より)は、明国に朝貢し琉球王と冊封されていた。1392年に明より学者/航海術者/技術者等の下賜を請け、久米村に住まわせた。 彼らを久米十六姓という。彼らは王朝の有力者として活躍した。
 琉球王国は1609年に薩摩藩島津氏の侵攻を受け、徳川藩幕下に置かれるが、幕府より対明貿易の窓口として、朝貢/冊封交易を持続することができた。
 このように琉球は日中の文化を吸収し、独特の琉球文化を発展維持してきた。400有余年の明(および清)との交流があったわけである。
 1992年那覇市は市制70周年、福建省福州市友好都市締結10周年を迎え、三十六姓ゆかりの久米に、設計/施工/資材のすべてを福州市により、「福州園」を建設した。




 以上の2枚は撮影に失敗したので、StreetViewを使用した
白い漆喰塗りの外壁には、様々な形の小窓が作られており、どれひとつ同じ形と窓枠型なかった
園内は中の島を取り囲む流水の池を回遊する 流水で流れてきた杯を呑む李白(だそうだ) 

         


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