那覇市東西14町「壺屋町民会;華鳳会」
那覇大綱挽まつり 旗頭行列出陣記
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 那覇大綱挽の素晴らしさは綱挽だけでなく、支度がーえー(我栄)で東西の勇者が大見得を切り、綱の周辺では旗頭がーえーと指笛、爆竹、銅鑼、鉦子、太鼓などの囃子立てなど、沖縄独特の伝統様式にある。 中でも最大の見どころはうふんなすねーい(旗頭行列)で、黒装束のむむぬちはんたー(股引半套)を身にまとった、にーせーたー(青年達)の舞わせるはたがしら(旗頭)にある。
 

西方の旗頭(クリックで別窓拡大表示)

東方の旗頭(クリックで別窓拡大表示)
 
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 旗頭は「村のシンボル、まもり神」として古くから地域のてぃぐまー(細工師)によって、村々の繁栄を込めて考案製作され、大綱挽を応援する村の旗印で、 勇壮、華麗、優美、荘重とその形や色彩を争い、大旗の旗字は古今の名著から取った句柄が大書され、町や村興しの目標ともなっている。

 この旗頭を躍らせるはたもち(旗持)は、ちゅらばた(美ら旗、旗頭を見事に躍動させること)を競い、それを那覇男子一生の誉れとしている。 那覇大綱挽保存会登録の公式の伝統の旗頭は14旗であり、うふんなすねーい(大綱挽旗頭行列)は、この旗頭をが東西に分かれてすねーいをする。

 先頭に地域代表の実行委員、子供たちのしるしばた(印旗)、太鼓、鉦子、ぶら(ほら貝)が、独特の調子で演奏しながら、国際通りを牧志から西へ行進する様子は那覇大綱挽行事の圧巻。 旗頭の行列順序は毎年変わる。
(写真/文章は那覇大綱挽保存会ウェブ/リーフレットより)
 
【以下は2015/10/8ブログのあとがき】
 本編は那覇大綱挽(4)で旗頭編に入った。保存会の公式\\旗頭は旧那覇4町と隣接し、加勢していた10町村で壺屋は泉崎町を加勢していた。壺屋が独立で参加してから今年で30回目。 つまり今年は45回目なので当初の15回は旧那覇4町の加勢をしていたことになる。

 加勢組の10町村のうち9町村は旧那覇4町に隣接しているが、首里だけは飛び離れた土地になる。戦後は旧那覇市と首里市/真和志市/小禄などが、大同合併し現在の那覇市になった経緯がある。 商業地の旧那覇で発展してきた大綱挽は、旧守の首里に敬意を表して公式旗頭に招聘したのだろう。

 旧琉球王朝の首里城下町は士族の町であり、商人の旧那覇浮島4村は久米村を除いて、王府の支配下にあったが王朝末期には衰退し、那覇商人からの献金で命脈をつなぎ商人を準士族の資格を与えた。 いわゆる「こーれーざむれー(金で買った士)である。それほど那覇は力があったことになる。