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壷屋焼は明治維新という大きな政治改革の波を受け、琉球王朝は幕を閉じ王府の庇護から自由競争に入る。
日露戦争による一時的好景気にはなったものの、本土の特に有田焼から安価で軽い焼物として大量に流入し、
一般庶民に浸透され壺屋焼は最大の危機に立たされることとなった。
だが民芸研究家や陶芸家の第一人者である柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司等が来沖し、壺屋焼の陶工に技術を研磨させ、 沖縄工芸の素晴らしさを東京や京阪神に発信した。
これにより壺屋焼は廃絶を免れ陶工達は自信と誇りを取り戻し、戦後に望みをつなげた。 |
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