 |
 |
琉球における焼物の歴史は、琉球王朝が海外貿易を盛んにしていた14〜16世紀頃に、中国や南方諸国の陶磁器が豊富に持ち込まれ、荒焼の南蛮焼の技術が伝えられた。
1609年に薩摩の島津藩が琉球に侵略。王朝の尚貞王は産業振興の目的で、薩摩から朝鮮人の陶工を招いて、湧田窯にて朝鮮式陶法の習得に力を入れ、上焼が焼かれるようになった。
そして1682年に王府の手によって知花窯、首里宝口窯、那覇湧田窯が牧志村の南に統合され、現在の「壺屋焼」が誕生したのである。
王朝時代は技に磨きをかけた作品を王に献上、その功績によっては新家譜を賜り、士族へとり立てられるなど高い評価を得、多くの名工を輩出した。
|
 |
|