沖縄は先の第二次世界大戦で、地上戦の舞台となり大きな痛手を受けたが、幸い壺屋地区は比較的軽微な被害で済み、陶工たちは戦後1番に壺屋に戻り、復興はいち早く行われた。 復興後は住宅密集地になったため、薪窯による煙害が公害となり薪窯の使用が禁止された。壺屋に残る陶工はガス・灯油窯に転換したが、薪窯にこだわる陶工は読谷村に移窯することになった。

 読谷村は周辺に良質な土が豊富にあったため、陶業には最適の場所となって、壺屋とは違う「やちむんの里」として発展した。 今日では壺屋や読谷村以外にも沖縄本島離島全域に分散する運びとなっている。
土灰染付け
2012/4/19-7/12
イッチン(白釉スポイト線描き)練習 平皿にイッチンで表札を描いた 土灰釉陶板表札の焼き上がり
トントンミー(とびはぜ)3兄弟
長男 たら〜(太郎) 二男 じらー(次郎) 三男 さんらー(三郎)
ミニ壺に線彫りし別色陶土で象嵌 フリーカップに線彫り象嵌 土灰釉象嵌の完成
マカイ(お茶碗)と六寸皿 白化粧マカイに線彫り染付け 白化粧六寸皿に壺屋三彩染付け
コース終了打ち上げピザパーティ
左:6代目女将 中:6代目窯主 右:7代目 自作他作の品表会 自作にごちそう盛り付け
表紙に戻る 刷毛目赤絵 黒釉線彫り