壷屋焼は明治維新という大きな政治改革の波を受け、琉球王朝は幕を閉じ王府の庇護から自由競争に入る。 日露戦争による一時的好景気にはなったものの、本土の特に有田焼から安価で軽い焼物として大量に流入し、 一般庶民に浸透され壺屋焼は最大の危機に立たされることとなった。

 だが民芸研究家や陶芸家の第一人者である柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司等が来沖し、壺屋焼の陶工に技術を研磨させ、 沖縄工芸の素晴らしさを東京や京阪神に発信した。 これにより壺屋焼は廃絶を免れ陶工達は自信と誇りを取り戻し、戦後に望みをつなげた。
黒釉線彫り
2012/1/19-4/5
平皿に黒釉をかけ線彫りをする 黒釉が見事に発色した フリーカーップも同じ
マカイ(お茶碗)のロクロ成形 乾燥後黒釉をかけ線彫り 焼き上がってきた
窯主による線彫りのお手本 短時間で草木模様 壷屋焼伝統の魚紋
六寸皿と小皿を成形 人間国宝金城次郎が手本 手本と大違いの線彫り
焼き上がりとお手本 小皿は飴(あめ)釉 琉球石灰岩石垣に置く
表紙に戻る 刷毛目赤絵 土灰染付け