琉球における焼物の歴史は、琉球王朝が海外貿易を盛んにしていた14〜16世紀頃に、中国や南方諸国の陶磁器が豊富に持ち込まれ、荒焼の南蛮焼の技術が伝えられた。 1609年に薩摩の島津藩が琉球に侵略。王朝の尚貞王は産業振興の目的で、薩摩から朝鮮人の陶工を招いて、湧田窯にて朝鮮式陶法の習得に力を入れ、上焼が焼かれるようになった。

 そして1682年に王府の手によって知花窯、首里宝口窯、那覇湧田窯が牧志村の南に統合され、現在の「壺屋焼」が誕生したのである。 王朝時代は技に磨きをかけた作品を王に献上、その功績によっては新家譜を賜り、士族へとり立てられるなど高い評価を得、多くの名工を輩出した。
刷毛目赤絵
2011/9/22-12/8
菊練りで陶土の空気を押し出す 陶土を手の平で伸ばしして平皿を作る 1週間後の乾燥した平皿
白釉薬をハケで塗り線彫りをする さらに1週間後に焼き上がった 初めての電動ロクロ体験
フリーカップを成形した フリーカップに線彫り装飾 線彫り後に白化粧で仕上げ
皿シーサーを手びねり成形 四角い皿にしてみた 土灰釉で焼成し完成
マカイ(お茶碗)の成形 マカイの高台を削る 刷毛目線彫りで仕上がった
六寸皿に挑戦 白化粧ずぶがけに赤絵で装飾 これがプロの赤絵だ
表紙に戻る 黒釉線彫り 土灰染付け