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琉球王朝が海外貿易を通じて14〜16世紀頃に、南方諸国の南蛮焼の技術が伝えられた。(荒焼:あらやち)
王朝の尚貞王は侵攻した薩摩から朝鮮人の陶工を招き、朝鮮式陶法を習得した。(上焼:じょうやち)
1682年に王朝により美里村知花窯、首里宝口窯、湧田窯が牧志村の南に統合され、現在の「壺屋焼」が誕生した。
1920年の終戦後、米軍により壺屋の陶工が、イの一番に那覇に戻され、戦後の復興に力を発揮した。 |
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↓陶芸センター前の陶板マップ↑ |
↑やちむん通りを拡大 |
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壺屋は旧那覇市郊外の牧志村にあったが、首里市と共に那覇市と合併し、国際通りの奇跡の発展にともなって、急速に市街化が進み、
登り窯の煤煙が公害視され、薪窯の使用禁止とともに、多くの窯元が読谷村に移転したが、いまでも約20余の窯元がガス窯を使用し残っている。
窯元が密集する通りには、陶器販売店が軒を連ね、その石畳の道「やちむん通り」は、観光客で賑わっている。また裏通りの細い路地は、「すーじぐぁ」といい、昔ながらの壺屋を味わえる。 |
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陶芸センター、左坂道はてんぷら坂 |
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陶芸センターから南ぬ窯が見える |
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陶芸センターの右に奥まって、市立壺屋燒博物館がある |
南ぬ窯を覆うガジュマルの繁み |
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県文化財の荒焼登り窯「南ぬ窯(ふぇーぬがま)、戦火を免れた登り窯はガジュマルの根に覆われている |
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南ぬ窯下の骨壺たかえす店 |
南ぬ窯茶房/島袋常雄窯店 |
南ぬ窯茶房 |
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育陶園(若手)店 guma-guwa |
小橋川陶器所つぼや工芸店 |
島袋常明工房シーサー店 |
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カカズ琉球人形シーサー店 |
島袋陶器所店 |
新垣陶器所店 |
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新垣製陶所 |
小橋川清正陶器所、まじる商店 |
小橋川製陶所仁王窯 |
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(修復中:Wikipedeia写真借用) |
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仁王窯工房 |
県文化財新垣家/上燒東窯(あがりぬがま) |
育陶園高江洲製陶所 |
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