さとうきび畑
 
 よくできた曲で手を加える必要なし。音源をピアノからフォークギターに変更したら、森山良子の弾き語りを思い出した。    なにしろ歌詞が11連(番)まであり、譜面の歌詞が複雑に入り組んでいる。
 
     
♪さとうきび畑(楽譜通り)
 


          





摩文仁の丘の廻りには、今もさとうきび畑が残っている
さとうきび畑では、今でも遺骨が見つかるという
【以下はわがブログに掲載した記事です】
 
 GoogleMapのStreetViewで見つけたさとうきび畑;

kibibatake.jpg

 新垣勉の歌うさとうきび畑が、YouTubeにあった;



 演奏時間では全曲ではない

森山良子は全曲を歌っている;




 この曲を聴くたびに、この歌詞を聴いたり、読んだりするたびに、持って行き様のない、かなしい気分になる。メロディと詞を追うと涙が溢れる。なんという哀しくも情感あふれる曲だろうか。






 作詞作曲の寺島尚彦の文章と、写真家のコラボ本。2002年刊でタイトルもそのマンマ、森山良子なども寄稿している。全曲だと10分以上だが、森山良子が最初にレコーディンした。森山は最初「ざわわ」に感情を込めるのに苦労したという。2005年の沖縄でのコンサートで、沖縄の人たちにで受け入れられるか? コンサート終了後、歌い続けてくれてありがとうといわれたという。

 この本に新垣勉も寄稿している。新垣の文に驚いた、「この曲の背景が私の環境とあまりにもマッチしていて、歌い方により気を使う。」と書いている

 「今は行方がわからない父がアメリカ軍人であり、あの戦いで沖縄が戦場となり、多くのさとうきび畑が戦車で踏みにじまれた。 私の生まれ育った読谷村は一面のさとうきび畑がひろがり、小さいころからさとうきび畑の風の音、ざわめきを聞いていた。
 沖縄が日本の防波堤として悲劇的な終焉を迎えたこと、父が米軍人として沖縄に来なければ、今の私が存在しないことも… このような背景から願うのは、戦争のない平和の実現です。」

 新垣勉のことはアニメの主題歌を歌ったことで知ってはいた
しかし、先の文と略歴を読んで、この歌は彼にしか歌えないのではと、さらに経歴をWikipediaで調べた;

 1952年沖縄県中頭郡読谷村で、在日米軍人であったメキシコ系アメリカ人の父と、日本人の母との間に生まれる。出生後まもなく不慮の事故で全盲となる。 1歳の時に両親が離婚し父親は帰国。母親は再婚したため、母方の祖母に育てられる。その際、祖母を母親と、実の母親を姉と言い聞かされながら育てられた。その後自らの境遇を絶望し「将来は両親を殺害して自分も死ぬ」と考え、井戸へ飛び込み自殺を図ろうとするが、友人に助けられるなどの少年時代を過ごした。 14歳で祖母を亡くし天涯孤独の身となる。

 ある日、ラジオから流れてきた賛美歌をきっかけに教会に行った。そして、一人の牧師に出会い、彼の今までの人生をすべて語った。 そして牧師は黙って彼の話を聞いていた。すべて話し終わると、勉は牧師が泣いていることに気づいた。 そのことをきっかけに声楽家と牧師になる事を目指す様になり、沖縄県立沖縄盲学校、東京キリスト教短期大学、西南学院大学神学部専攻科を卒業し、 日本バプテスト連盟系教会の副牧師になる。また、当時は聖歌隊としての奉仕も活発に行なっていた。

 西南学院大学在学中にイタリア人ボイストレーナーの、アンドレア・バランドーニに「君の声は日本人にはないラテン系の素晴らしい響きをしている」と激賞された。 その際自分の出生について語ると、「辛い体験だったと思うが、同時にそれはプレゼントであり、感謝すべきものでもあるのだよ」と言われ、 その言葉で両親を恨む気持ちが癒えたという。

 聖歌隊での実績を元に本格的に歌手活動をしたいと、売りり込みを始めるが、「音大も出てないのに声楽家を目指すとはおこがましい」と馬鹿にされ屈辱を受ける。 しかし、音楽への思いを貫き34歳で武蔵野音楽大学に入学、大学院修士課程まで進み修了。チャリティーコンサートなどで歌を披露するようになる。
 2001年、寺島尚彦作詞・作曲の『さとうきび畑』で、初のCDを発売し歌手として成功するにいたった。
 
 この唄の歌詞は11連(番】もあり、基本歌詞の繰り返し部分に、各連で異なる詞が挟まれている。これらををまとめ変化のある部分を表形式にした;
さとうきび畑 寺島直彦 作詞作曲(1967)
セクションA セクションB
1 ざわわ
ざわわ
ざわわ
広いさとうきび畑は ざわわ
ざわわ
ざわわ
風が通りぬけるだけ 今日もみわたすかぎりに 緑の波がうねる 夏の陽ざしの中で
2 むかし海の向こうから いくさがやってきた
3 あの日鉄の雨にうたれ 父は死んでいった
4 そして私の生まれた日に いくさの終りがきた
5 風の音にとぎれて消える 母の子守歌
6 知らないはずの父の手に だかれた夢をみた
7 父の声をさがしながら たどる畑の道
8 お父さんて呼んでみたい お父さんどこにいるの
このまま緑の波に おぼれてしまいそう
9 ざわわ
ざわわ
ざわわ
けれどさとうきび畑は ざわわ
ざわわ
ざわわ
風が通りぬけるだけ 今日もみわたすかぎりに 緑の波がうねる
10 忘れられない悲しみが 波のように押し寄せる 風よ悲しみの歌を 海に返してほしい
11 風に涙はかわいても この悲しみは消えない


以下は譜面が読める人が対象です;
 この曲は大変複雑で「さわわ」のフレーズAと、「今日もみわたす限りに…」のフレーズBが、繰り返される単純な構造だが、連(番)での文字数があわないため、ヤヤッコシイ譜面になっている。 最初のリピートで2連(番)目のAとBを繰り返し、てカッコ2に入り3連のA1/B1からストレートで、4連のA2/B2、さらにストレートでA3/B3、リピートでもう1度5連のA3/B3を繰り返し、 最初のA1へセーニョ1する。ここまで5連(番)を歌ったことになる。

 セーニョ1でA1/B1の6連になり、D.S.Time Straghtでリピートせず、カッコ3に飛び7連のA2/B2からコーダ1の8連へ。8連はそれまでの単純リピート(譜割りでA1/B1〜A3/B3があるが)が、 重音でB(4)を2回繰り返すことになる。この重音のドラマチックな部分は詞を参照していただきたい。コーダ1をセーニョ2で冒頭に戻り、9連のA1/B1からカッコ4のストレートで、 A2/B2の10連に入りコーダ2の、11連エンディングへ。 11連のA5は盛り上げどころ、フェルマータやリットで情感たっぷりに歌い上げ、インテンポからまたリットで最後の仕上げ。 最後のアルページョで余韻を残し残照を味わう。

 フレーズA/Bが5つもあり構成が複雑だが、詞を見ると判るように韻を踏んでいず、連(番)ごとの字数合わせの譜割りだ。たとえばA1/B1にも1/2連で字数があわず、4分音符と3連音符が混在している。 これを同時に演奏すると和声上衝突する。1連目は文字数から2分音符で、2連目は3連音符で演奏しなければならない。楽譜では歌詞と共に判別できるが、DTMではそうはイカない。
 しかしながらヨワイ55年の音符生活で、こんな複雑な譜面は初めてお目にかかった。
 ポンっ! と楽譜を渡された森山良子も面食らっただろう。 ローティーンからの進駐軍出入りで、楽譜より耳コピの進駐軍ジャズかじりでは、トテモじゃないがこんな複雑な譜面は読めなかっただろう。 せいぜいセーニョかカーポでコーダに飛ぶぐらい。たしかにボクも初めてのヤヤッコシさではあった。

 DTMソフトでリピート1/2.3.4が認識されるか、D.S.1/2とCoda1/2が指定できるか、さらにはD.S.Time Streightは? DTMソフト(スコアメーカー)のメーカー、KAWAIに問い合わせたがむにゃムニャ、マニュアルでD.S.1/2/1.2と、 Coda1/2はわかって解決したが、D.S.Time Straightは解決せず、11連(番)が数連増えてしまった。 まぁ、それでもいィ、こっれほどの情感あふれる曲を、ホゝ納得できる仕上がりにできた(とおもう)ので、充足感に浸っている。