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W. A. Morzart
Mistery of ”G” Mainor
交響曲 第40番 ト短調(K550)にまつわるミステリー
↑ 1枚のCD、2枚のレコード、そして1冊の豆スコ Sinfonie in G Minor KV 550(交響曲第40番ト短調)
CD:カール・ベーム/ウィーン・フィルハーモニー(1976)
レコード(左):ベーム/ベルリン・フィルハーモニー(1961)
レコード(右):オトマール・スィートナー/ドレスデン(1975)

 4LDKの一軒家からワンルームに越してきた時、家財の90%以上を処分した。
 持ってきたわずかの家財の一つにレコードがある。
しかし、数時間前まで引越し荷物の段ボール箱の中だった。

 このコンテンツを作るに当たって、初めて段ボール箱を開梱し、2枚のレコードを探し当てた。
 ト短調交響曲をベームがベルリンとウイーン・フィルを指揮している。それも15年の歳月を経て・・・

 ベームはベルリンを指揮したときが67歳、そしてウィーンの時が82歳。その年齢差による原曲への解釈も深まっているが、ベルリンとウィーンという管弦楽団の個性が異なることもあって、大変興味深い演奏の差を感じる。

 ト短調シンフォニーは下記の述べるよう、後からクラリネットが追加されており、当初のオーボエ版と2つのスコアが存在する。
 ベームは1958年にH.C.ロビンズ・ランドンによって改訂・完結された、クラリネットつきのベーレンライター版スコアがありながら、どちらも初版のオーボエ版で指揮をしている。

 その理由はレコード・ジャケットには記載されていず、私には判らないが、スィートナーの演奏と聞き比べると、やゝ管楽器のアンサンブルに陰影が乏しいように感じられる。
 モーツアルト最後年の3大交響曲は、1788年に相次い で作曲された。
 それも、僅か2ヶ月足らずの間にである →

そして、調性(変ホ長調/ト短調/ハ長調)による楽器編 成の違いも興味深い。
                (VcにはBassが含まれ、Tmはティンパニー)
1788 K542 6/22 Vn Vl Vc Fl Ob Cl Fg Tp Fn Tm
#39 EbM K543 6/26 2 1 1 1 0 2 2 0 2 1
(K544〜K549) |
#40 Gm K550 7/25 2 1 1 1 2 (2) 2 0 2 0
#41 CM K551 8/10 2 1 1 1 2 0 2 2 2 1

生前には一度も演奏されなかった?

 モーツアルトはこれら最後の3大交響曲を作曲した3年後に亡くなった。
そして、彼自身の指揮で演奏されたという記録はない。

 しかし、記録が未確認というだけで、ウィーンや1790年のドイツ旅行で、演奏されなかったという証拠もない。
 1790年10月15日にフランクフルトで催された演奏会でのポスターには「モーツアルトの新作大交響曲で始まり、1曲の交響曲終わる」と書かれていたという。

 また、1791年4月16日と17日に行われた、ウィーン音楽家協会の演奏会で、モーツアルトの大交響楽が演奏されたという記録が残っている。

 この演奏会はサリエリが指揮をして、クラリネット奏者のシュタートラー兄弟が出演したとされる。

 モーツアルトの交響曲でクラリネットがはじめて用いられたのは1778年の第31番パリで、それ以降は1782年の第35番ハフナー、そして3大交響曲の最初の第39番であり、また、第40番への追加、パート変更である。

 このコンテンツのミステリーの一つである、クラリネットの追加と、オーボエのパート変更、またもう一つのミステリーである、小節の差替え譜の存在は、確かに演奏されたことを物語る証拠ではないだろうか。

初稿はオーボエ クラリネットを追加

 1788年7月25日に作曲された初稿では、

  フルートx1 (Fuauto)
  オーボエx2 (Oboi)
  ファゴットx2 (fagotti)
  ホルンx2 (Corno in Sib/B alto/Sol/G)
  ヴァイオリン T (Violino)
  ヴァイオリン U (Violino)
  ヴィオラ (Viola)
  チェロ (Violoncello e Basso)

という編成である。この初稿はウィーン楽友協会のコレクションに、自筆譜の主な部分が残されている。 (ということは全ページは残っていない?)

 モーツアルトは後に、クラリネットを追加して、オーボエのパートを変更するという、楽器編成替えを行った。

 この改訂はいつ行われたのか、未だに確定されていない。また、何の目的でこの改定が行われたのかも判らない。

 しかし、この改訂は何か実際の演奏に際しての、現実的な編曲を暗示しているとしか考えられない。
つまり、前段に述べたように、サリエリによって演奏される場で、親しい友人のクラリネット奏者、シュタートラー兄弟のために・・・

 クラリネットを含む自筆の管用楽譜も、初稿と同じく楽友協会に残されている。

管から弦へのパート変更 代替譜と誤った追加

 モーツアルトは初稿のアンダンテ(第2楽章)を完成後に、2ヶ所の変更を別の楽譜で付け加えている。
それは初稿では管楽器のリレーによって演奏されるフレーズを、弦楽器に書き換えている。

 彼はその代替の譜を挿入する小節に、2重線で印をつけている。

 右上の譜面が29小節から4小節を代替するもので、下の譜面が元の初稿(1段目からフルート/オーボエ=本来なら3段目のクラリネットのフレーズ/クラリネッ ト/ファゴット)だ。
100小節目も同じフレーズが代替されている。

 この代替譜は当時の管楽器奏者には、演奏が困難なために書き直したともいわれているようだが、このフレーズ同様の難しい32音符は、他の小節にもいくつか書かれており、純粋に音響的な変更であったのであろう。

 しかし、当時の写譜人はパート譜を書くときに、指示を誤解し追加してしまった。
つまり下の29小節目に上の4小節を追加してしまった。

 この誤りは何と1841年にローベルト・シューマンが気づくまで訂正がなされなかったという。
 従って、50年もの間、4x2=8小節多い譜面で演奏されていたことになる?

   
 この他、モーツアルトは初稿のフルートとオーボエ、ファゴット間で、楽節の移し替えを数箇所行っている。
 これらの訂正作業は3つの段階にわたっている;

  1)フルート/オーボエ/ファゴットの入れ替え
  2)管から弦への代替書き換え
  3)クラリネットの追加とオーボエの書き換え
 これらの変更は純粋な音響効果上のことではなく、演奏技術上の変更であったことは、当時は常識の習慣であったようである。

 従って、厳密な和声上の理由や芸術的な観点からの変更ではないにしても、この曲の完成度は損なわれていないのはいうまでもなかろう。

 このコンテンツは1958年、H.C.ロビンズ・ランドンの監修 により刊行された「新W.A.モーツアルト全集」による原典 版を、ベーレンライター社が発行した指揮者用スコアの  コンデンスを、1974年音楽の友社が発行したもので、ランドン氏の監修文を海老沢敏氏訳で参照した。

モーツアルトの交響曲をめぐる四方山話をアップしました

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