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モーツアルトの時代、オーケストラはどんな編成であったのか?
生誕の1756年、生地ザルツブルグの大司教付楽団の編成から
初めてのオーケストラ作品「交響曲第1番」を作曲したロンドン
ヘンデルのオーケストラ編成を、そして、没年までを掲載した。
End of update : Jun. 10,2000
年代 オーケストラ名 Vn Vl Vc Cb Fl Ob Cl Fg Hn Tp Pc
1730 ライプツィヒ
(バッハのオーケストラ)
3/3 2 2 1 2 2 0 1 0 2 ? Fgは見習い、ほかにも素人が混じる
1757 ザルツブルグ
(大司教付楽団)
10 2 3 2 3 0 4 2 2 2 教会音楽用トロンボーン3
1759 ロンドン
(ヘンデルの楽団)
12 3 3 2 0 4 0 4 2 2 1 捨子養育院
1762 パリ
(ラ・プープリニエール付楽団)
5 0 1 (1) 1 1 2 1 2 0 0 ほかにクラブサンとハープ
1765 ライプツィヒ
(コンツェルト協会楽団)
8/8 3 2 2 2 2 0 2 2 ? ?
1770 ミラノ
(歌劇場付楽団)
14/14 6 2 6 4 2 2 4 ? ?
1772 ベルリーン
(プロシャ王付楽団)
12 4 5 2 4 4 0 4 2 0 0 ほかにチェンバロとハープ
ファンファーレ用トランペット、太鼓
1772 シュトゥットガルト
(宮廷付楽団)
18 6 3 4 2 4 0 2 3 ? ? 宮廷オペラを兼ねる
1773 パリ
(コンセール・スピリテゥエル付楽団)
13 11 4 10 2 3 2 4 2 2 1
1777 マンハイム
(宮廷付楽団)
10/10 4 4 4 2 2 2 4 2 ? ? 別にトランペットと太鼓奏者
1778 ベルリーン (プロシャ王付楽団) 12 4 4 3 4 4 0 2 2 ? ? ほかにチェンバロとハープ
1778 ミュンヒェン
(選帝候付楽団)
17 ? 2 2 2 3 3 2 4 ? ?
1781 ヴィーン
(歌劇場付楽団)
6/6 4 3 3 2 2 2 2 4 2 1
1781 ライプツィヒ
(ゲヴァントハウス楽団)
6/6 3 4 2 2 0 3 2 2 1
1782 ベルリーン
(ドェッベリン劇場付楽団)
4/4 2 1 ? 2 0 2 2 ? ? ほかに予備のFl/Ob2名
1782 コープレンツ
(宮廷付楽団)
13 4 2 3 3 3 2 3 4 2 1
1782 マインツ
(宮廷付楽団)
10 2 1 2 3 2 1 2 ? ?
1782 マンハイム
(宮廷付楽団)
18+5 3 4 3 4 3 3+1 4 4 ? ? +1は見習いの補欠
1782 パリ
(コメディー・フランセーズ付楽団)
6/6 2 4 1 0 2 0 2 2 0 1
1782 シュトゥットガルト
13 6 3 3 2 3 0 2 2 ? ?
1783 ボン
(宮廷付楽団)
9+2 2 2 2 2 2 3 4 3 1
1783 カッセル
(宮廷付楽団)
7/7 2 2 2 2 2 0 3 2 0 0
1783 ドレスデン
(ポーランド王付楽団)
8/7 4 4 3 3 4 0 4 3 ? ?
1783 エステルハーツ
(エステルハージ公付楽団)
11 2 2 2 0 2 0 2 2 ? ? Vnの1名はハイドン
1783 プレスブルグ
枢機卿付楽団)
9 2 2 2 1 2 (2) 2 2 2 1 Cl は弦楽器の補強用
1784 コペンハーゲン
宮廷付楽団)
7 2 2 3 2 2 0 2 2 ? ? ほかにハープ
1787 プラーハ
オペラ劇場楽団)
3/3 2 2 2 ? ? ? ? ? ? ?
1787 ベルリーン
(プロシャ王付楽団)
20 6 8 4 2 4 2 4 4 2 1 ほかにトロンボーンとハープ
1790 パリ
(オペラ座付楽団)
26 6 12 5 2 4 2 5 4 3 1 Tp奏者はトロンボーンも演奏
1791 ロンドン
(サロモンの楽団)
12
〜16
4 3 4 2 2 ? 2 2 2 1

出典:アダム・カース著、小泉功訳、「第18世紀のオーケストラ」鹿鳴閣(1957)より

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