阿嘉大橋

「あか」大橋:(座間味島・・・)阿嘉島「阿嘉大橋」〜慶留間島(〜外地(ふかじ)島(昭和63年)
橋長:530m 幅員:9.7m(内歩道2m) 航路:W70mxH8.9m 村道
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 ・位 置:沖縄本島南部慶良間諸島
 ・親 島:阿嘉島(南≒200m)
 ・人 口:3280人(慶留間島:81人)
 ・世帯数:173戸
 ・面 積:3.82ku(慶留間島:1.15ku)
 ・周 囲:12.3km(慶留間島:4.9km)

 島内のほとんどを森林原野におおわれ、天然記念物・ケラマジカも生息している豊かな自然に恵まれた島。


 阿嘉島と慶留間島の両島間の架橋以前の交通手段は小型船舶のみであり、特に悪天候時や緊急を要する傷病人の発生時には、不便を強いられていた。
 阿嘉大橋は両島間の安全且つ恒常的な交通手段を確保し、両島の開発を促進させ、地域の活性化を図るために必要不可欠な事業として建設された。
 空港から慶留間大橋〜阿嘉大橋で、慶留間島・阿嘉島につながったが、村役場の主島である座間味島とは船便しかない。
 
・慶良間諸島wiki    ・外地島wiki    ・慶良間空港wiki
・慶留間島wiki    ・阿嘉島wiki    ・座間味島wiki    ・座間味村wiki


 慶良間(けらま)諸島にはケラマ島はなく慶留間(げるま)島がある。その島の南側にある外地(ふかじ)島にはケラマ空港が昭和57年にできた。 空港は慶良間諸島の離島交通のために開設されたが、北側の有人島である慶留間島への橋が出来たのは6年後のことである。

 それまで空港を降り立った乗客は慶良間諸島の有人島(慶留間島・阿嘉島・座間味島・渡嘉敷島)へは、船便しかなかったことになる。 しかし慶留間大橋が完成しても事情は同じで、平成10年の阿嘉大橋の架橋まで待たなければならなかった。

 阿嘉島まで橋がかかったとしても座間味村役場がある座間味島へは橋がなく、座間味村内はもちろん渡嘉敷村を含む慶良間諸島の離島交通に空港はなんの役にも立っていない。 阿嘉島には那覇〜座間味島への定期船便が就航しており、阿嘉大橋の架橋で空港はほんの少し意味があるのかもしれない。

 ケラマにゲルマにフカジにアカ、ザマミにトカシキ。琉球・沖縄の伝統的な地名が続出、
                  『慶留間』と書いて
“げるま” と読む。

 古琉球から三山時代の前琉球を経て、伊平屋・伊是名島から出たとされる第一・第二尚氏の、三山統一の琉球王朝の初期までは、琉歌の前身である「おもろそうし」のごとく、 話し言葉の「かな」文字文化であった。三山時代末期に清國への朝貢がはじまり漢字文化か流入した。

 琉球でのそれまでのひらかな文字を漢字表記化で、清國流のオカシナ地名・人名が当て字で表記された。ちょうどアイヌ語の日本語化と同じような経緯ではある。 さらに下って薩摩島津の琉球侵攻後に「ヤマトめきたる地・人名を廃止」で、2文字地・人名の3文字化で現在に至っているということらしい。