奥武橋

「おう」橋:南城市〜奥武島(昭和13年)
橋長:≒100m 市道
(↓ クリック拡大 ↓)

 ・位 置:沖縄本島南部南城市東
 ・親 島:南城市(東≒100m)
 ・人 口:≒1,0000人
 ・世帯数:
 ・面 積:0.23km2
 ・周 囲:1.7km


 1990年代初めに一周道路が完成し、ドライブコースにもなっている。島は小高い丘になっており、島内の道は迷路のように入り組んでいる。

 太平洋に面し漁業が盛んであり、海産物の食堂や名物の天ぷらの売店がある
 
・奥武島wiki


 島の中央にある観音堂は17 - 18世紀頃に漂着した唐船の乗組員を島の人が助け、手厚く看護したお礼に贈られた観音像を奉った堂である。 旧暦5月4日(5月末 - 6月下旬)には海神(うんじゃみ)祭とハーリー(爬竜船競争)が行われている。

  「奥武」と書いて「おう」と読む。本シリーズでも地名でも多く見られる。先の屋我地島も羽地「奥武」島から沖縄本島につながっている。 今日の奥武島は沖縄で最も知られた島だが那覇にも奥武山公園があり、ここも那覇内海の島だった。

 次の離島大橋 's では久米島の新奥武橋を紹介する。「奥武」をググるとwikiには『沖縄県にある島や地名でかつて死者を弔った場所であったと云われておりいずれも崇められている。 かつての沖縄では人が死ぬと海岸のすぐ沖の小さな島に船で遺体を運んで、洞窟へと安置する葬送の習慣があった。洞窟の中が黄色い光に満たされていたことから、 これらの島々を「オウ」の島と呼んでいたとのこと。