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 行進曲の王様といわれる「スーザ(John Philip Sousa)」の、パブリック・ドメインのサイト(IMSLP)から入手できる楽譜、約40曲をSMF(Midi)化し掲載した。  曲の解説はスーザ・マーチ大全(Paul E Bierley/鈴木耕三訳、音楽之友社)を引用した。曲の構成はダウンロードした楽譜に準じている。

*SMF(Midi)曲は曲名前の「」をクリックすると聴くことができます

*出版楽譜の表紙画像(青枠)は、クリックすると拡大表示できます

  海兵隊魂(Esprit De Corps:1878) 曲の構成:略号について
 海兵隊バンドはスーザが隊長に就任してから、任務に対する誇りと献身ぶりが顕著になった。したがってこの曲は隊員の熱意と決意を表現するために作曲されたのであろう。
 曲は複雑な構成で通常はトリオで転調するが、途中で3度も転調している。
  I:前奏(Intro.)   M:マーチ(1〜n)   T:トリオ(Trio)
 E:中奏(Episod)   B:接奏(Bridge)    ||:/:|| 繰り返し
 Mn+/Tn+:旋律に対旋律(オブリガート)が付随する
 DC:先頭に戻る   Fine:DC後の曲の終了小節
 M1(16)など略号の(n)は小節数      [x]:調号/変調

 【例】左の「海兵隊魂」は、[Bb]変ロ長調で4分の4拍子。
4小節の前奏に続いて16小節の第1マーチ、[F]ヘ長調に転調して第2マーチが30小節、再び変ロ長調に戻って第3マーチ16小節が繰り返される。 トリオで変ホ長調に転調し16小節を繰り返し、続いて第4マーチ16小節が繰り返されて終わる。
[Bb] 4/4 I(4)||M1(16)|| [F] M2(30)|| [Bb]||:M3(16):||:[Eb]T(16):||:M4(16):||

  ガーフィールド大統領葬送行進曲
(Garfield's Funeral March:1881)
  コングレス・ホール(Congress Hall:1882)
 暗殺された大統領を埋葬する時に、海兵隊バンドにより演奏された。その後に演奏されることがなかったが、スーザ自身の埋葬で演奏されたという。
 葬送行進曲故に遅い曲(レント)と、スーザには珍しい変ロ短調(Bbm)/変ホ短調(Ebm)の、重厚な響きの曲である。
 海兵隊バンドはワシントン(HQ)ではよく知られていたが、スーザが隊長に就任してから急速に地方に知られるようになった。 コングレス・ホテルはニュージャージの岬に立つ歴史的なホテルで、海兵隊バンドが招請された返礼に作曲された。
 スーザには珍しいダ・カーポ(DC)がある。
[Bbm] 4/4 I(8)||M1(8)||M2(8)||b(8)|| [Ebm]T(8)||E84)||T(8)|| [Bb] 6/8 I(4)||:M1(16):||:M2(16):||Fine [Eb]B(4)||T(16)||E(16)||T(16)||DC

  4つの軍隊ラッパとドラム曲
(
4 Marchs for Regimental Drums and Trumpetts:1884's)
  サウンド・オフ!(Sound Off !:1885)
 スーザは4つのごく短い軍隊ラッパと行進ドラム曲を作っている。ラッパは自然音階の倍音(ド/ソ/ド/ミ/ソ)のみ。したがってすべてBb(変ロ長調)?。
 1.ラッパx2 2.ラッパx2 3.ラッパx1 4.ラッパx2 で、ドラムは1パートである。4曲をメドレーとして再生するようにした。
 Sound Off ! とは軍楽隊が行進時に、閲兵台を通過するときの号令ラッパで、バンドの定位置から行進する際や、定位置に戻って静止する場合にも使われたらしい。
 この曲にはその号令ラッパのフレーズが使われているというが、譜面ではどの部分かよく判らない。
1:2/4  2:6/8  3:2/4  4:2/4 [Eb] 2/2 I((4)||M1(16)||M1+(16)||M2(32)|| [Ab]||:T(16):||:E(16)||T(16):||

  小銃歩兵連隊(The Rifle Regiment:1886)   剣闘士(The Glandiator:1886)
 出版された楽譜の表紙に、アメリカ第3歩兵連隊の士官と隊員たちに献呈されたことが明記されている。スーザの他のマーチと比べて、楽曲形式が異なっているが傑作の1曲。
 前奏が21小節もあり第1マーチと併せて繰り返される。また通常は3回演奏されるトリオが、中奏を挟んで2度しか演奏されない。
 この曲はスーザにとって最初に評判になった。本人の知らないうちに楽譜が100万部も売れたという。本人がフィラデルフィアに行った時、街頭の手廻しオルガンが奏でていて、大感激したという逸話がある。
 スーザがテンプル騎士団の騎士の称号を贈られたことが、この曲の作曲動機かも知れない。
[Ab] 4/4 ||:I(21)||M1(16):||:M2(16):|| [Db]T(32)||E(16)||T(32)|| [F] 2/2 I(4)||:M1(16):||:M2(16):|| [Bb]||:T(16):||:E(16)||T(16):||

  忠誠(Semper Fidelis:1888)
 この曲を望んだアーサー大統領との約束が果たせず、大統領の死後2年後に完成したという。曲名の "Semper Fidelis" は海兵隊のモットーで、「常に忠実であれ」から名付けられた。
 曲の中間に勇壮な行進ドラムの8小節に続き、トランペットが「しっかりとした足取りで」の印象的なトリオを吹奏する。
 この曲の初演はワシントンの街頭行進であった。街路には大統領や議員と外交官らの閲兵席があり、その席の前に行進が差し掛かった時、 「しっかりとした歩調で」のテーマを席に向かって、10本のトランペットで高らかに吹奏した。
 この曲はすぐに海兵隊の公式マーチに制定され、スーザの初期の最高傑作となった。
[C] 6/8 I(8)||:M1(16):||:M2(16):||B(8)|| [F]||:T(16):||:M3(16):||

  フェンシブル・ドリル(The National Fencibles:1888)   騎馬闘牛士(The Picador March:1889)
 南北戦争後にワシントンのハイスクールでは、競ってマーチング・バンドを作った。これらのドリルチームは士官養成校ではないが、カデッツ(Cadets)と称してした。
 ナショナル・フェンシブルもその1校で、トリルに「戦いに赴け、進軍ラッパは鳴り響く」と歌詞が付いている。
 楽譜の表紙に騎馬の闘牛士が描かれている。後のメキシコで休暇時に闘牛を見て、ショックを受け、事前に知っていたら別の曲名にしたことだろう。
 曲は至極上品なコンサート・マーチで、どこにも闘牛を連想されるマタドールのようなメロディはない。
[Bb] 2/2 I(8)||:M1(16):||:M2(24):|| [Eb]||:T(16):||:E(24)||T(16):|| [Bb] 4/4 I(4)||:M1(16):||:M2(16):|| [Eb]||:T(16):||:E(16)||T(16):||

 ワシントン・ポスト(The Washington Post:1889)
Washington_Post.jpg
 ワシントンの各新聞社は、読者獲得の競争を繰り広げていた。ワシントン・ポスト紙はエッセイコンテンストを主催し、大統領が出席する表彰式でこの曲が海兵隊バンドで演奏された。 演奏されたその場で熱狂的な反応があり、数日の間にたちまち大評判を呼んだ。
 また、ダンスの年次大会で使われた結果、全米
はもちろん全世界でも有名になったという。
 この曲の大流行のおかげでワシントン・ポスト紙は、世界的な名声っを勝ち取ることができたという。 そのことを賛辞し記憶を残すため、ポスト紙の本社ビルに「スーザ集会室」を設置し、真紅の海兵隊制服を着たスーザの、等身大の肖像画がスポットライトを浴びて飾られているという。
[G] 6/8 I(8)||:M1(16):||:M2(16):|| [C]||:T(16):||:E(8)||T(16):||

 雷神(The Thunderer:1889)
 雷神をイメージした人物はスーザが騎士(ナイト)の、フリーメーソンのテンプル騎士団の一人と思われ、ワシントンのテンプル騎士団コロンビア第2支部に献呈されている。テンプル騎士団は元は十字軍が発祥であるという。フリーメーソンは「友愛」の世界最古の団体で、かのモーツアルトも加入していた。  この曲の第2マーチには軍隊ラッパと行進ドラムが使われていて、高々と吹奏するトランペットのメロディが印象的だ。
 この曲はスーザ夫人のお気に入りだったと、娘のヘレンが明らかにしているという。
[F] 2/2 I(4)||:M1(16):||M2(16)||B(16)|| [Bb]||:T(16):||:E(8)||T(16):||

  コーコラン・カデッツ(The Corcoran Cadets:1889)   士官候補生(The Highschool Cadets:1889)
 南北戦争以来コーコラン・カデッツの、ドリルチームはワシントンでもっとも有名であった。平均年齢16歳の若者らが鮮やかな制服に身を固め、木製のライフルを肩に担ぎキビキビと行進する。 このチームは常にドリル・コンテストに勝ち、州兵に招集される最優秀生のチームであったという。  邦題の士官候補生で有名だが誤訳で、先述のフェンシブル校や左記のコーコラン校などと同じ位置づけ。ただし、当校はワシントンで唯一のハイスクールであった。
 ライバル校のマーチより素晴らしい曲が欲しいと、学生たちはスーザに24ドルを募り拠出したという。
[Bb] 4/4 I(8)||:M1(20):||:M2(16):|| [Eb]T(32)||:E(16)||T(16):|| [Db] 2/2 I(8)||:M1(24):||:M2(16):|| [Eb]||:T(16):||:M3(16):||

  星条旗よ永遠なれ(The Stars and Stripes Forever:1896)
 アメリカ第2の国歌とまでいわれ、1987年にレーガン大統領が、アメリカ公式マーチ(National March)法案に署名し制定された。この曲が演奏されると米国民は国歌と同様に起立する。
 スーザはこの曲を書き上げた動機を、「神の啓示」といったそうである。自ら書いた歌詞には「自由の民の旗に万歳!」とある。
 曲の後半のトリオでは第1奏で、バリトン(ユーフォニウム)が柔らかなメロディを奏で、強烈な中奏(エピソード)を挟んで、第2奏でピッコロがオブリガートを重ねる。 さらに2回目の中奏を経た最後の第3奏には、勇壮なトロンボーンのオブリガートが重なる。
 この第2奏ではピッコロが前に出て華やかなオブリガートを演奏する習慣になっている。
[Eb] 2/2 I(4)||:M1(16):||:M2(16):|| [Ab]T1(32)||E(24)||T2+(32)||E(24)||T3++(32)|| => (T2+=Picolo/T3++=Picolo+Trombone)

  いかさま師(The Charlatan:1898)   シカゴの美人The Belle of Chicago:1892)(
 スーザが書いたオペレッタの中でも、音楽的に興味深い曲から抜粋された。多くの楽器用に楽譜が出版されたが、ほとんど売れず世間から忘れ去られてしまった。  シカゴの淑女に敬意を評して書かれたが、地元の新聞では酷評された。 「シカゴの女性のことをよたよた歩きまわる大女で、まるで汽笛のようなドラ声を張り上げ、砂糖漬けハムのような太い足をした化け物のように思っている!」
 このような悪評にもかかわらず、このマーチは名曲の一つとして生き残った。
[G] 6/8 I(4)||M1(32)||:M2(16):|| [F]||:T(16):||:E(20)||T(16):|| [Eb] 2/2 I(4)||:M1(16):||:M2(16):|| [Ab]||:T(16):||:M3(16):||

  自由の鐘The Liberty Bell:1893)(   マンハッタン・ビーチ(The Manhattan Beach:1893)
 自由の鐘はアメリカの独立のシンボル。1776年のアメリカ独立宣言時にこの鐘が鳴らされた。
 スーザは自由の鐘が全国巡回後に、フィラデルフィアに戻った時に、息子が初めてパレードに参加したことを聞き、まだ曲名が決まっていなかったマーチに、この名前をつけたという。
 マンハッタン・ビーチは、ニュヨークのブルックリン南の半島にあり、コニーアイランドなど隣接する行楽地。
 マンハッタン・ビーチ・ホテルでの夏季公演のために作曲された、軽快なマーチでスーザの名曲の一つ。
[F] 6/8 I(4)||:M1(16):||:M2(16):|| [Bb]||:T(32):||:E(24)||T32):|| [F] 2/2 I(4)||:M1(16):||:M2(16):|| [Bb]||:T16):||:M3(16):||

  ボウ・アイデアル(The Beau Ideal:1893)   理事会(The Dirctorate:1894)
 スーザは大衆の心をつかんで離さない=ボウ・アイデアルな音楽家と、当時は表現された。つまり大衆音楽作曲家とでもいうのだろうか。
 この曲は当時に創設された米音楽家連盟「ボウ・アイデアル」のためのものである。
 理事会とは1893年に開催された、セントルイス博覧会の会で、期間中に素晴らしい演奏を続けたスーザに、特別式典が催され州知事から表彰された。
 この名誉の返礼としてこの曲を、博覧会理事会に贈った。
「Eb] 4/4 I(4)||:M1(24):||:M2(16):|| [Ab]||:T16:||:E(24)||T(16):|| [F] 2/2 I(16)||:M1(16):||:M2(16):|| [Bb]||:T(16):||:M3(16):||

  キング・コットン(King Cotton:1895)   エル・キャピタン(El Capitan:1896)
 アトランタを中心とする南部諸州は、デキシーと呼ばえる「綿」の産地である。1895年に開催された綿花の国際博覧会を、盛り上げて成功に導いたのがこの曲。
 ボストン・フードフェアの「美中の美」と、この曲が博覧会の曲の中で最も成功を収め、今日にいたるまでも演奏され続けている。
 スーザが書いた数多くのオペレッタの中で、最も成功した「エル・キャピタン」から抜粋したマーチで、スーザのお気に入りの1曲。
 スーザは自己負担でスーザ・バンドにメンバを補強し、100人を超える隊形で1899年に、ニューヨークでの凱旋パレードで初演・行進した。
[Eb] 6/8 I(4)||:M1(16):||:M2(16):|| [Ab]||:T(16):||:E(16)||T(16):|| [C] 6/8 I(4)||:M1(16):||M2(32)|| [F]T(38)||:M3(16):||

  海を超える握手(Hands Across the Sea:1899)   自由の精神万歳(Hail to the Spirit of Liberty:1900)
 出版楽譜の表紙に「ある考えが私の心にひらめいた − 永遠の友情を約束しよう」。戯曲家のフレアーの言葉だ。
 この曲は特定の国に向けてではなく、すべての友好国に向けて書かれた。フィラデルフィアの初演では、興奮した聴衆の求めに応じ、3度も繰り返し演奏したそうだ。
 スーザは自らのバンドを帯同し、1900年にパリで開催された万博に、アメリカ代表として出席した。
 万博理事長からアメリカの子どもたちに贈られた、ラファイエット像の除幕式のために作曲されたこの曲を初演した。
[F] 2/2 I(4)||:M1(16):||:M2(16):|| [Eb]||:T(16)||E(16):||T(16)|| [F] 2/2 I(4)||:M1(16):||:M2(16):|| [Bb]||:T(32)||E(16):||T(32)||

  無敵の鷲(The Invincible Eagle:1901)   エドワード皇帝(Imperial Edward:1902)
 バッファローのパン・アメリカン博覧会向けに作曲された。作曲は公演旅行中の夜行列車のコンパートメントで、一気に書き上げられたという。
 初演は戦没将兵追悼記念日(Memorial Day)に、フィラデルフィアの公園で行われた。
 イギリス公演中に皇室保養地で御前演奏をし、献呈を約束した。手稿譜に美しい装丁をし王室に届けられ、大英博物館に飾られている。
 トリオにイギリス国歌のGod Save the Kingが用いられ、この部分でソロのトロンボーン・セクションが起立し演奏する習わしだ。
[D] 6/8 I(8)||:M1(16):||:M2(16):|| [G]||:T(32)||E(20):||T(32)|| [Eb] 2/2 I(8)||:M1(16):||:M2(16):|| [Ab]T(16)||T+(16)||E(16)||:M3(16):||

  (ユニオン)ジャック・ター(Jack Tar:1903)  外交官(The Diplomat:1904)
 英海軍向けに作曲が意図されたが、最終的には軍人福祉クラブのユニオンジャック・クラブの献呈された。初演は国王/女王/皇太子臨席で、近衛歩兵連隊などが演奏した。
 トリオの中間部エピソードで、16小節の水兵の角笛(E1:Sailor's Hornpipe)に続き8点鐘が鳴る。
 当時の国務長官に献呈されたこのマーチを、スーザは保養地ホテルのレストランで、美味いステーキをヒントに作曲された。
 このマーチはスーザには珍しく、ダル・セーニョ(DS)があり、トリオが文字通りのTrioでなく4回も演奏される。
[G] 6/8 I(8)||M1(16)||M2(16)||M1(16)||
[C]T(32)||2/4||E1(16)||E2(8)||T(32)||
[F] 6/8 I(4)||:M1(16):||:M2(16):|| [Bb]T(32)||:E(16)||&||T(32):||DS

  フリーランス(The Free Lance:1906)   パウハタン酋長の娘(Powhatan's Daughter:1907)
 同名のオペレッタから抜粋されたマーチで、割愛しかねてたっぷり2曲分の長さとなった。    第1マーチと第2マーチの間に8小節のブリッジがあり、しかもト長調4分の2拍子の第3マーチまである。通常はトリオで転調するのだが、そのまま同調でトリオに入っている。  このマーチはスーザがアメリカ・インディアンに対する敬意の表現である。アメリカ入植300年記念の博覧会のために書かれ、パウハタン族の酋長の娘、ポカホンタスに捧げられたという。
[D] 6/8 I(4)||:M1(16):||B(12)||:M2(16):|| [G] 2/4||:M3(16):||
T(32)||:E(20)||T(32):||
[Eb] 2/2 I(4)||M1(16)||:M2(16):|| [Ab]||:T(32)||E(16):||T(32)||

  美中の美(The Fairest of the Fair:1908)  ボーイスカウト(Boy Scouts of America:1916)
 ボストン食品博覧会のために作られた、スーザの名曲中の1曲。数年前から出演していたスーザが、会場で働く美しい女性をインスピレーションに作曲したという。
、ミリタリー・マーチ形式を守りながらも、楽しいメロデイの曲で"Fair"に博覧会と美しいとう意味を重ねた、「美人中の美人」と洒落たタイトルをつけた。
 ボーイスカウト・アメリカ連盟の依頼で作られたマーチ。「少年らに生気を吹き込み、少年のしなやかな歩調を表現した」という。
 トリオのの中間に16小節の進軍ラッパとドラムのドラム・メジャーが、エピソードとして挟まれている。
[F] 2/2 I(4)||:M1(24):||:M2(24):||E(20)|| [Eb]T(32)||E(16)||T(32)|| [C] 6/8 I(4)||M1(32)|| [G]B(8)|| [C]M1(32)|| [F]T(32)||E(16)||T(32)||

  星(条旗)と錨(Anchor and Star:1918)   銃弾と銃剣(Bullets and Bayonets:1918)
 スーザは第1次世界大戦中に海軍訓練センターで、海軍大隊音楽隊を指揮していた。この曲のタイトルは海軍の紋章かた採られた。
 トリオの頭に8小節のドラム・ブレイクがあり、続いてTrioが演奏される。
 この第1次世界大戦のマーチは、アメリカ歩兵部隊の士官と兵士に献呈された。タイトル通りの好戦的なミリタリー・マーチで、それが災いしたのかあまり人気が出なかったという。
[C] 6/8 I(8)||:M1(16):||:M2(16):|| [F]B(8)||T(32)||T+(32)||:M3(16):|| [F] 2/2 I(16)||:M1(16):||:M2(16):|| [Bb]T(32)||:E(16)||T(32):||

  チャンティマン(The Chantyman's:1918)  自由諸国の旗々(Flages of Freedom:1918)
   8曲の海兵ワークソング・メドレー。1917年に海軍に入隊したが、水兵らが作業中に声を合わせて歌っていた労働歌を、メドレーのマーチに仕上げた。
 したがって調もF/C/Bb/F/Bb/と替わり、拍子も途中で変わっている。
 第1次世界大戦資金調達のため、連合国国旗局の依頼で作曲された。ベルギー/イタリア/フランス/イギリス、そしてアメリカの5ヶ国の国歌がメドレーとなっている。
 スーザは版権を辞退したが完成時には戦争が終わりかけで、楽譜はほとんど売れなかったという。
[F] 6/8 M1(8)||:M2(8):||:M3(8):|| [C]2/4||:M4(8):||:M5(8):||:M6(8):||
[Bb]||M7a(8)||:M7b(8):|| [F]||M8a(20)|| [Bb]||M8b(16)||
[Bb] 2/4 I(4)||Belgium(6)||Italy(32)||B(4)||
Franch(20)||Engrand(20)|| [Eb]America(40)

  在郷軍人仲間(Comrades of the Region:1920)   第7連隊マーチ(The Gallant Seventh:1922)
 第1次世界大戦後に最優先で書かれたマーチで、スーザは在郷軍人会の5つの支部の名誉会員であったという。
 数年前からはじまったレコードにも録音され、予約販売の段階で50万枚も売れたという。
 南北戦争以来の歴史的な、ニューヨーク州兵軍第107大隊第7連隊に献呈された。初演にはスーザ・バンドに第7連隊バンドが加わり演奏された。後にスーザは第7連隊バンドの名誉隊長となったという。
 トリオのb部に連隊ラッパとドラムのメジャーが、力強く演奏されている。
[Bb] 2/2 I(8)||:M1(16):||:M2(16):|| [Eb]||T(16)||:E(16)||T(16):|| [F] 2/2 I(8)||:M1(16):||:M2(16):||
[Eb]||Ta(16)||Tb(16)||Ta(16)||:E(19)||Ta(16):||

  G.ワシントン大統領200年祝祭(George Washington Bicentennial:1930)
 1932年2月22日に開催された、ジョージ・ワシントン大統領生誕200年の記念祝祭で、記念行事の最後に陸・海・海兵の3軍合同バンドを、死を目前としたスーザの指揮で演奏された。
 スーザは翌3月7日に公演先のホテルで、心臓発作を起こし死亡した。享年77歳であった。
 スーザはこの曲の後に10曲のマーチを書き、遺作はエドガー・アラン・ポーの詩に曲をつけた歌曲、「アナベル・リー(Annabel Lee)」であったという。
[C] 2/2 I(4)||:M1(16):||:M2(16):|| [F]||T(32):||:E(20)||T(32):||



"The President's Own" United States Marine Band recorded John Philip Sousa's march "The Stars and Stripes Forever" on March, 3, 2009, in the John Philip Sousa Band Hall at Marine Barracks Annex in Washington, D.C. This video was recorded for the National Museum of the Marine Corps gallery titled "A Global Expeditionary Force 1866-1916," where visitors will find an interactive Marine Band exhibit.


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