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Old "Hot" Jazzmens (1895-1920)
ジャズ史上に登場するオールドメン達

ミュージシャン 生年 初レコーディング
Charles "Buddy” Bolden
バディー・ボールデン
1877        −
Buddy Bolden Blues
Joe "King" Oliver
キング・オリバー
1885 1923(Chicago)
Canal Street Blues
Edward "Kid” Oly
キッド・オリー
1886 1922(l.A.)
Ory's Cleole Trombone
Freddie "King" Keppard
フレディー・ケッパード
1889 1923(Chicago)
Sslty Dog Blues
Jeary "Bank" Johnson
バンク・ジョンソン
1889
"Jelly Roll" Morton
ジェリーロール・モートン
1890 1923(Chicago)
Mudd Water Blues
Clarence Williams
クラーレンス・ウイリアムス
1898 1923(N.Y.)
Wild Cat Blues
Louis "Satchmo" Armstorong
ルイ・アームストロング
1901 1923(Chicago)
Yes! I'm in the Barrel(1925)
(ニューオーリンズからスイングのプレイヤー:1920年代前半までに生まれたプレイヤーで、モダン時代の方が業績大の奏者は除外)
(出典:「ジャズ・プレイヤー辞典」juke box(1959)ほか)
index
 
■ A ■
レッド・アレン Henry "Red" Allen(Tp/Vo) 1908(Algiers, Louisiana)-1967
 顔を真っ赤にしてトランペットを吹くので有名。 ニューオリンズのブラス
バンドにいた親父の影響でTpをマスター。
  24年にプロ入りシカゴでキング・オリバー楽団、29年にルイ・ラッセル、
33年フレッチャー・ヘンダーソンのブラスセクション。翌年ブルーリズム・
バンドに招かれ 歴史的な作品に寄与する。


Canal Street Blues 5-28-1940
Down In Jungle Town 5-28-1940
  index
リル・アームストロング Lil Hardin-Armstrong(Pf) 1897(Memphis, Tennessee)-1971
 黒人教育の最高学府として古くから有名なフィスク大学で正規の音楽
教育を学んだ。当時の黒人ジャズメンとしては珍しい教養人。10代の頃
からプロとして活躍し始め、最初はシカゴでフレディ・ケパートのバンドに
入った。
 1920年にジャズ王といわれたキング・オリバーのバンドに転じ、ここで
2番ラッパを吹いていた若き日のルイ・アームストロングと出会った。1924
ルイと結婚し持てる音楽知識を注ぎ、後の大サッチモに育て上げた。
 翌25年、二人はオリバーの元を離れ独立、その頃ルイの名前で吹き
込んだホット・ファイブは歴史に残る名演である。
 31年ルイと別れてからはピアニスト、シンガー、そしてバンドリーダー
として活躍を続けた。亡くなったのは71年ルイの亡くなった翌月であっ
たことは奇しき縁であった。

Georgia Bo-Bo 5-28-1926(Hot Five)
Drop That Sack 5-28-1926(Hot Five)
East Town Boogie 1947(Solo)
  index
ルイ・アームストロング Louis Armstrong(Tp) 1901(New Orleans, Louisiana)-1971
 子供頃ニューオーリンズのパレードでピストルを撃ったことから感化院
に入れられ、そこでコルネットを習ったというエピソードは有名。16才頃に
は昼は仕事、夜は臨時で酒場のバンドでプレイしていた。
 その後キング・オリバーの後釜としてキッド・オリーのバンドに入りプロと
なった。22年シカゴでジャズ王として成功していたキング・オリバーに呼
ばれ、ひのき舞台での活動を開始。
 そこで知り合ったリル・ハーデンと結婚し、25年に独立後ホット・ファイブ、
ホット・セブンの歴史的名演を成し遂げた。その後ニューヨークなどでビッ
グバンドを持つが徐々にコマーシャル化し始め、独特のボーカルとあわ
せてエンターティナーとして大成功を収める。
 全盛時代のプレイは音色、ハイトーン、テクニック、フィーリングで最高
のトランペッターであり、後のモダーン・ジャズのプレイヤーもが目標にし、
大きな影響を与えたことでジャズの王様と称されている。

Georgia Grind 2-26-1926(Hot Five,Vocal:Lil&Louis)
Heebie Jeebies
2-26-1926(Hot Five)
Savoy Blues 2-26-1926(Hot Five)
Melancholy Blues 5-11-1927(Hot Seven)
*Hot5/7 録音順全曲リスト
  index
■ B ■
カウント・ベイシー Count Basie(Pf/Leader) 1904(Redbank,Newjersey)-1984
 子供の頃母親からピアノを習っていたがドラムを志した。しかしクラスメー
トのソニー・グリアー(後にエリントンのドラマー)のプレイを聴いて諦めた。
 若い頃ボードビル一座で巡業していた時、ウォルター・ペイジと出会いバ
ンどを組み、カンサスシティのベニー・モーテン・バンドと合併した。
 35年モーテンの死で独立しシカゴを経てNYに進出する。その頃のレコー
ディングは初期の傑作。
 ベイシーのピアノ・スタイルは最小限の音符で最大限の効果を得る、間を
重視するベーシー・ピアノで、バンドのスタイルはリフのアンサンブルを前面
に押し出したスイング・スタイル。
 ベイシーとフレディ・グリーン(Gt)、ウォルター・ペイジ(Cb)、ジョー・ジョー
ンズ(Dm)のオール・アメリカン・リズム・セクションのスイングは最高。


One O'Clock Jump(YouTube) 1941
Basie Boogie(YouTube) 1943
  index
バスター・ベイリー Buster Bailey(Cl) 1902(Memphis, Tennessee)-1971
 キング・オリバーのバンドにいた後、1934年にフレッチャー・ヘンダーソン
の元で名を上た。37年にはオニックス・クラブボーイズを編成、またビリー・
ホリデーなどとのセッションは中間派の名演。
 黒人とは思えない流暢なプレイはニューオーリンズ・スタイルでなく、モ
ダーンな中間派スイング・スタイルで、ベニー・グッドマンにも影響を与えた
ともいわれる。


Chained To A Dream 12-7-1938
The Blue Room 5-1940
  index
ポール・バーバリン Paul Barbarin(Dm) 1899(New Orleans, Louisiana)-1969
 ニューオーリンズのブラスバンドにいた父親の影響で楽器を始めた。
1919年キング・オリバーに呼ばれシカゴに行く。ルイ・アームストロング
より3年早い。オリバーのバンドが後にルイがリーダーとなった後も39
年まで在籍した。


Farewell Blues 11-18-1927
  index
シドニー・ベシェ Sidney Bechet(Sx/Cl) 1897(New Orleans, Louisiana)-1959
 バイブレーションが強いソプラノ・サックスの所為で、ニューオーリンズ・
ジャズ・プレイヤーではないといわれるが、1905年の8歳の頃にはジャズ
を演奏し始め、フレディー・ケパードを振り出しに15年クラーレンス・ウィリ
アムスのバンド、その後エディ・コンドンなどともプレイした、ジャズの歴史
そのものの人。
 59年にパリで亡くなる8年前、妻にささげた一つのメロディ「小さな花」が
大ヒットし、余計ニューオーリンズ・ジャズメンと思われなかったのだろう。

Lonesome Woman's Blues 10-1923
I Want You Tonight 9-15-1932
Shake It And Break It 9-6-1940
  index
ビックス・バイダーベック Bix Beiderbecke(Cn) 1903(Davenport, Iowa)-1931
 ジャズを最初に録音したのは白人のODJBだったが、白人ジャズメンで
最も優れたプレイをする最初の人。陸軍幼年学校時代にバンドを結成し、
1923年に中退してプロデビューする。
 スターダストで有名なホ-ギー・カーマイケルとであったののこの頃で、
彼の短い生涯での真の親友ととなった。25年にシカゴのコマーシャル・
バンドに入った頃、オリバーやサッチモ、などの演奏に触れ、ジャズメン
として成長した。

Davenport Blues 1-26-1925
Jazz Me Blues 10-5-1927

Rockin' Chair 9-15-1930
Rockin' Chairには作曲者のホーギー・カーマイケル、ジミーとトミーの
ドーシー兄弟や、バド・フリーマン、ベニー・グッドマン、ジーンクルーパー
がプレイしている)
  index
バーニー・ビガード Barney Bigard(Cl) 1906(New Orleans, Louisiana)-1980
 少年時代にニューオーリンズの楽隊で腕を磨き、25年にシカゴのキング・
オリバーのバンドに入った。28年ニューヨークのデューク・エリントンに移り、
14年間を過ごす。
 46年乞われてルイ・アームストロングのオールスターに入り、53年に来日。

Stompy Jones 12-19-1936
"C" Blues 9-29-1941
(2曲とも自身の名を冠したバンドだが、エリントンのバンド)
  index
■ C ■
ホーギー・カーマイケル Hoagy Carmichael(Pf/Com) 1899(Bloomington, Indiana)-1981
 彼はジャズ・ミュージシャンではないが、ビックス・バイダーベックの項で
出てきたこともあり、スタンダード・ソング・ライターとしてジャズ・シーンに数
多くの素材を提供しているので取り上げた。
 今日でもよく知られる曲に"Star Dust" ,"Georgia on My Mind" ,
"Up The Lazy River", "Lazybones", "Skylark" and "Heart and Soul",
"Riverboat Shuffle"."Washboard Blues",などなどがある。

Stardust 10-31-1927
Georgia On My Mind 5-21-1930
Stardust (Pf Solo) 12-6-1933
Washboard Blues (Pf Solo) 1-16-1934
  index
リー・コリンズ Lee Collins(Tp) 1901(New Orleans, Louisiana)-1960
 父親からトランペットを学び、15歳でプロとなりニューオーリンズで活動。
24年ルイ・アームストロングの後釜としてシカゴのキング・オリバーに呼ば
れた。
 彼のプレイ・スタイルはバディ・ボールディング、バンク・ジョンソンの伝統
的なニューオリンズスタイルを受け継ぐ貴重な存在。

Damp Weather 11-15-1929
Duet Strut 11-15-1929
  index
エディ・コンドン Eddie Condon(Bj/Gt) 1905(Goodland Indiana)-1973
 10歳の頃シカゴに出てジャズ・ギターを学び、27年ごろからプロとして
シカゴ・ジャズを演奏していた。しかしプレイヤーとしてよりバンド・リーダー
で大成した。
 ディキシーランド・ジャズのバンド・リーダーとして、ジャズ史上貴重な
レコーディングを数多く残しているが、彼のソロはほとんど残されていな
い。


Sugar 12-8-1927
Indiana 7-28-1928
Dancing Fool 11-11-1940
  index
■ D ■
ベイビー・ドッヅ(ドッズ) Baby Dodds(Dm) 1898(New Orleans, Louisiana)-1959
 キング・オリバーやルイ・アームストロングなどの古くからの仲間で、21
年にオリバーのバンドに入りリル・アームストロングなどと働く。バンク・ジ
ョンソン、ジェリー・ロール、シドニー・ベシェなどとも付き合った。
 同時代の仲間たちから、典型的なニューオーリンズ・ドラマーとして評
価されていた。次項のジョニードッズは実兄で、ほとんど一種にプレイを
していた。

Drum Improvisation 1-6-1946
Spooky Drums 1-10-1946
Tom-Tom Workout 1-10-1946

(次項Johnny Doddsの3曲とも兄と競演している)
index
ジョニー・ドッヅ(ドッズ) Johnny Dodds(Cl) 1892((New Orleans, Louisiana)-1940
 クラリネットを独習で覚え、11年にキッド・オリーのバンドに入り18年ま
で働いた。20年にシカゴのキング・オリバーに加わり、26年以降はルイ
やジェリーロールなどと数多くのレコーディングを残している。
 彼のプレイ・スタイルは独習ながら、数多くの後進者に影響を与えた。
その流れを汲む一人にジミー・ヌーンがいる。

Bucktown Stomp 7-6-1928
Melancholy 1-21-1938

Red Onion Blues 6-5-1940

(3曲ともピアノはリル・アームストロング)
index
ジミー・ドーシー Jimmy Dorsey(Cl/As) 1904(Shenandoah, Pennsylvania)-1957
 音楽教師である父親に、次項の弟のトミー共々音楽を習った。28年
に弟と共にドーシー・ブラザース・バンドを結成したが、35年に喧嘩別
をして独立。51年に和解をして再び合同でバンドを再結成した。
 プレイ・スタイルはオーソドックスで、クラリネットも上手い。

Dixie Dawn 5-22-1928
Beebe 7-14-1932
Dippermouth Blues 2-6-1935

(独立後のレコーディングが見つからない)
index
トミー・ドーシー Tommy Dorsey(Tb) 1905(Shenandoah, Pennsylvania)-1956
 兄のジミーより早くプロでプレイを始め、35年にポール・ホワイトマンの
バンドを辞し、兄弟でドーシー・ブラザース・バンドを結成した。35年に喧
嘩別れで独立後、数多くのサイドメンを輩出したことでも有名。
 トロンボーンのプレイは美しく、センチメンタルなプレイは魅力的で、スイ
ート・スイングともいうべきスタイルだ。独立前のレコーディングは前項の
ジミーを参照されたい。


Three Moods 7-14-1932
Stardust(YouTube) 1936
Hawaiian War Chant(YouTube) 1942
index
■ E ■
デューク・エリントン Duke Ellington(Pf/Leader) 1904(Washington, D.C.)-1957
 成績優秀な秀才だったが音楽ぬ夢中部なり、高校を中退してプードル・
ドッグ・カフェのピアニストとしてプロになった。その頃に書いたソーダ・ファ
ンティン・ラグが作曲の処女作。23年ニューヨークで自分のバンドを結成し、
彼独特のプレイ・スタイルで成功を収めた。
 27年にコットン・クラブに進出し、メンバーを拡充したフルバンドで大成功
を収める。20年代のホットなプレイ・スタイルは、30年代以降にスインギー
スタイルに変遷し、一世を風靡した。
 作曲家としても秀で、Take the 'A' Train, The 'C' Jam Blues,Satin Dollな
ど、数多くの名曲を残している。

Immigration Blues 12-29-1926
Yellow Dog Blues 6-25-1928
Mood Indigo 12-10-1930
C Jam Blues(YouTube) 1942
Satin Doll(YouTube)
Take the A Train(YouTube) 1940s
index
■ F ■
バド・フリーマン Bud Freeman(Ts) 1906(Chicago, Illinois )-1991
(No Image)  早くからいろんなバンドに出入りし、ディキシーランド・ジャズをプレイし、
後にレッド・ニコルス、ベン・ポラック、ベニー・グッドマン、トミー・ドーシー
などで活躍した。

Craze-O-Logy 12-3-1928
index
■ G ■
ベニー・グッドマン Benny Goodman(Cl/Leader) 1909(Chicago, Illinois)-1986
 27年ベン・ポラックを振り出しに、レッド・ニコルスなどを経験し、34年に
自分のバンド持った。翌年出演したラジオ・ショー「レッツ・ダンス」で好評
を博し、やがて全米でヒットを重ね、(白人の)スイング王となった。

That's A Plenty 6-13-1928
Muskrat Scramble 8-13-1929
index
■ H ■
コールマン・ホーキンズ Coleman Hawkins(Ts) 1901(St. Joesph, Missouri)-1961
 ジャズ史上にテナー・サックスの重要性を確立した功労者。24年から
10年間フレッチャ-・ヘンダーソン・バンドに在籍し活躍した。39年以降は
コンボ・バンドを組み、中間派の名手として成功した。

Someday Sweetheart 7-21-1933
index
フレッチャー・ヘンダーソン Fletcher Henderson(Pf/Arr/Leader) 1897(Cuthbert, Georgia)-1952
 大学卒業後研究のためニューヨークに出、アルバイトでW.C.ハンディ
のバンドでピアノを弾いたことからプロに。23年に独立しルイ・アームス
トロングを呼んだりした。
 28年以降にバンド編成を改め、ビッグ・バンドの先駆けとなった。39年
健康面からバンドを解散し、そのアレンジメントをベニー・グッドヅマン
などに提供し成功を収めた。

Baby Girl 7-1921
Beale Street Mama 5-1-1923

Come On, Baby! 12-12-1928
Can You Take It?
8-18-1933
Moten Stomp 5-28-1938
index
アール・ハインズ Earl Hines(Pf) 1900(Pittsburgh, Pennsylvania)-1971
 22年シカゴでプロになり、27年ジミー・ヌーンのバンドでプレイする。
その頃ルイ・アームストロングと出会い、有名なホット・ファイブ、セブ
ン、オールスターで活躍。


Off Time Blues 12-8-1928
Beau-Koo Jack 2-15-1929
Cavernism 9-13-1934
index
ビリー・ホリディ Billie Holiday(Vo) 1915(Baltimore,Maryland)-1959
 15歳と13歳の両親から生まれ、10歳にして黒人のラッパ吹きに手篭
に会い、14歳にして娼婦として春をひさがなければならなかった薄倖の
少女は、幾多の困難にもめげず生まれながらの音楽的才能を開花さ
せ、後に「レディ・デイ」と賞賛されるジャズ史上最高のシンガーに開花
する。しかし、人種的迫害や麻薬に犯され、56年44歳の若さで亡くなっ
た。
 ビリーのブルースはすばらしく、また誰も表現できない何物かが潜ん
でおり、愛・飢・悲・惨などをリアルに歌い上げている。


Strange Fruit(YouTube)
The Blues Are Brewin'(YouTube)
lady sings the blues(YouTbu)
Fine And Mellow(YouTube) 1944
index
■ J ■
マヘリア・ジャクソン Mahalia Jachson(Vo) 1911((New Orleans, Louisiana)-1972
 父親はニューオーリンズ港の荷揚人足から床屋を経て日曜協会の
牧師になった。彼女はその協会で5歳から聖歌を歌っていた。ある日
聴いたベッシー・スミスのブルーズに感銘を受け、ブルーズも歌い出
した。
 彼女のブルーズは本来のスピリチュアル、ゴスペルの歌手として、
黒い苦悩と神への信仰にあふれ、深い感動を聴く人々に与える。



Steal Away with Nat King Cole(YouTube) 1957
index
バンク・ジョンソン Bunk Johnson(Cn) 1889(New Orleans, Louisiana)-1949
 幻の伝説的な初期ニューオーリンズのラッパ吹き。15最後らから稼
ぎ出し、バディー・ボールデンの2番ラッパをはじめ、紅灯街閉鎖後も
ニューオーリンズに居続け活躍した。
 20年代からはじまったレコーディングに、スタイルを盗まれると録音
を拒み、全盛期のプレイが残っていないのが残念。歯を悪くし引退し
ていたが、後に再発見され42年入れ歯でレコーディングした。
index
ジェームス・P・ジョンソン James P. Johnson(Pf) 1894(New Brunswick, New Jersey)-1949
 ジャズ・ピアノの草分けの一人で、若き日のエリントン等に影響を与
えた。10歳代の初めの頃からニューヨークでプロ活動を始めた。後
にはピアニストよりアレンジや作曲で活躍した。

After Tonight
(Piano Roll)  6-1917
The Harlem Strut 8-1921

Bleeding Hearted Blues 7-25-1923
Feeling Blue 1-29-1929
index
■ K ■
フレディー・ケパード Freddie Keppard(Cn) 1890(New Orleans, Louisiana)-1933
 コルネットプレーヤーのキングとしてBuddy Boldenの後任となった
重要なミュージシャン。 オリンピアOrchestraを導いて、バンド、葬儀、
およびストーリービルクラブを行進していた。1906ロサンゼルスにい
きたオリジナル・クレオール・オーケストラを結成した。
 1914年から1918年まで、ボードビルショーで国をツアーした後、1920
年代前半にシカゴに定住し、Savoy Ballroomでクレオール・オーケスト
ラで演奏した。

Salty Dog 7-26-1926
Stock Yard Strut 7-26-1926
index
■ L ■
トミー・ラドニア Tommy Ladnier(Tp) 1900(New Orleans, Louisiana)-1939
家が貧しく借り物のラッパで練習を重ね21歳でプロになった。1925年
ごろフレッチャー・ヘンダーソンで仕事をし、その後シドニー・ベベシェ
と共に独立したが、しばらくして引退した。死の1年前にユーグ・パナ
シェに引っ張り出され、歴史的なレコーディングをした。
 彼はキンゴ・オリバー直系の力強いプレイで、ほとんどがルイー・ア
ームストロングの影響を受けているが、全く影響を受けていずユニー
クなプレイヤーだ。もし彼が早死にしていなかったらジャズ史上、ルイ
に匹敵しただろうともいわれている。

Really The Blues 11-28-1938
Ain't Gonna Give Nobody None O' This Jelly-Roll 12-19-1938
  (Quintet selected by Hughes Panassie)
Everybody Loves My Baby 12-19-1938
 (Quintet selected by Hughes Panassie)
index
ジョージ・ルイス George Lewis(Cl) 1900(New Orleans, Louisiana)-1968
 独習でクラリネットを学びBlack Eagle Bandに入り、パーティやパレ
ードをプレイした。 1920年代にニューオリンズを出ず、30年ごろには音
楽で喰っていけけなくなり、最後は沖仲仕までしたという。42年にバンク・
ジョンソンが再発見されたとき、呼び出されてレコーディングをした。
 60年代のディキシーランド・リバイバル以降は真価を認められ、その
素朴で哀愁のこもったプレイは真のニューオーリンズのジャズである。
63年に初来日した時に、私は彼のすばらしいプレイに接したことがある。

Burgundy St. Blues(YouTube) 1957
index
■ M ■
ジェリー・ロール・モートン Jelly Roll Morton(Pf) 1890(New Orleans, Louisiana)-1941
 ニューオーリンズ・スタイルのピアノ・プレイを確立し、今日のジャズ・
ピアノの基礎をとなり史上に大きな名をとどめた。幼い時からピアノを
習得し、若い頃からニューオーリンズの紅灯街でラグタイム・ピアノを
弾いていた。
 その後シカゴやニューヨークに出、ジャズ・ピアノのプレイを洗練させ
ていった。1938年のアメリカ国会図書館の保存用に、40数枚のレコー
ディングを残している。


Wolverine Blues 7-18-1923
Tom Cat Blues 6-9-1924
King Porter Stomp 4-20-1926
Seattle Hunch 7-8-1929
Harmony Blues 3-19-1930
After You've Gone 8-1938
The Crave 12-14-1939
index
■ N ■
レッド・ニコルス Red Nichols(Cn/Leader) 1905(Ogden, Utah)-1965
 映画『五つの銅貨』であまりに有名。23年にニューヨークに出て、
ポール・ニューマンなどのビッグ・バンドで働きながら、初期のミュー
ジカルのオーケストラを指揮していた。
 その頃いろんな名前のバンド名でレコーディングをしたが、サイド
メンにジミー・ドーシー、ベニー・グッドマン、グレン・ミラー、ジーン・
クルーパーなど後のスターが多くプレイしたことでも有名だ。
 彼のプレイ・スタイルは白人ディキシーだが、中編成でアレンジされ
た、いわばニューヨーク・ディキシーだ。映画のタイトルとなったナン
バーを1曲だけリンクしておく。

Five Pennies 6-20-1927
index
ジミー・ヌーン Jimmie Noone(Cl) 1895(Cut-Off, Louisiana)-1944
 1910年シドニー・ベシェのプレイを聴き、クラリネットに転向した。
ニューオーリンズのフレディ・ケパートで腕を磨き、23年シカゴに出て、
27年にアール・ハインズと組み歴史的名盤をレコーディングした。
 彼のプレイはニューオーリンズ・スタイルで、ベニー・グッドマンやジ
ミー・ドーシーに影響を与えたという史上に残る名手の一人だ。

Blues My Naughty Sweetie Gives To Me 8-23-1928
After You're Gone 10-21-1929
Have A Little Faith In Me 2-6-1930
I'm Going Home 12-11-1940
index
■ O ■
キング・オリバー King Oliver(Cn) 1885(New Orleans, Louisiana)-1938
 いわずと知れた(初代)ジャズの王様。15歳にして街角のブラスバンド
を作り活躍し、後に伝説のイーグル・ジャズ・バンドに入る。彼のプレイ
は力強く、たちまちにしてニューオーリンズ1番の花形になった。
17年にシカゴへ進出し大評判を勝ち取る。20年にはジョニー・ドッズなど
を、23年にはルイ・アームストロングを呼び寄せ、2番ラッパを吹かせる
など大活躍をした。

Canal Street Blues 4-5-1923
King Porter
(Piano:Jelly Roll Morton) 12-1924
Tack Annie 7-23-1926
Showboat Shuffle 4-22-1927
Speak Easy Blues 9-10-1928
New Orleans Shout 12-30-1929
Stingaree Blues 9-10-1930
index
キッド・オリー Kid Ory(Tb) 1886(La Place, Louisiana)-1973
 小さいときから友達とブラスバンドを組み稼ぎ、待望のトロンボーンを
手に入れた。それを持ってニューオーリンズに出て、キング・オリバー
などとジャズ・バンドを結成した。オリバーがシカゴに行くとルイ・アーム
ストロングを雇った。
 21年に黒人で初めてのレコーディングをしたので有名。24年ごろオリ
バー、ルイの後を追ってシカゴに出、ルイの最高傑作であるホット・ファ
イブ、ホット・セブンをレコーディングした。

Ory's Creole Trombone 7-1922
Society Blues 7-1922
(26年の歴史的名盤、ルイのHot5はルイ・アームストロングの項に全曲)
Ory's Creole Trombone 11-1945
index
■ P ■
ベン・ポラック Ben Pollack(Dm/Leader) 1903(Chicago, Illinois)-1971
 ミュージシャンとしてのドラム・プレイは特筆するところはないが、
バンド・リーダーとしての名声が大である。彼のサイド・メンには数
多くの名手が育っている。
 レッド・ニコルス、ベニー・グッドマン、グレンミラー、ハリー・ジェー
ムスなどなど。レッド・ニコルスの有名なファイブ・ペニーズのレコ
ーディングは、ポラックのサイドメンを借りたもの。
 映画のグレン・ミラー物語には、本人が出演している。

Memphis Blues 12-7-1927 (with G.Miller)
Yellow Dog Blues
1-22-1929 (with G.Miller/B.Goodman)
Swing Out 12-28-1933 (with G.Miller/B.Goodman/H.James)
index
■ S ■
ベッシー・スミス Bessie Smith(Vo) 1895(Chattanooga, Tennessee)-1937

 ジャズ史上最高のブルース・シンガー、ブルースの皇后と賞賛さ
れている。彼女はストリート・ミュージシャンとしてチャタヌーガで歌
い始めた。
1912年にはダンサーと歌手として巡業のショーに加わりました。
ショーはMa Raineyをフィーチャーしており、彼女からブルースを学
んだ。15年まで滞在した後、ボードビルサーキットに加わった。
 23年にクラレンス・ウィリアムズによってレコーディング・デビュー
をし、その後フレッチャー・ヘンダーソンに招かれ、呼ばれたルイ・
アームストロングとのSt. Louis Blues」は傑作である。
 30年ごろから彼女の正調(Classic)ブルースは流行遅れとなり、
場末のナイトクラブで歌う傍ら、幕間にキャンディなどを売って生活
を支えていた。
 37年レコーディングのチャンスがあり、ミシシッピーに向かう途中で
交通事故で重傷を負い、黒人なるがゆえに病院で診てもらえず、世
紀のブルース歌手は薄幸な晩年を42歳で閉じた。


St. Louis Blues 1-14-1925 (with Louis Armstrong)
(現存するsoloの全曲を参照されたい:全曲聴くことができる)
index
ジョニー・セントクレア
Johnny St. Cyr(Bj/Gt) 1890(New Orleans, Louisiana)-1966
 彼はバンジョーとジャズ・ギターの、本当のパイオニアだった。1905年
には既にバンドを持っていプレイをしていた。23年にシカゴに行くとき、
川船の上でキング・オリヴァーとプレイした。 彼はキング・オリヴァー、
ジェリー・ロール・モートンなどと共に働き、、ルイス・アームストロング
の傑作、Hot FiveとHot Sevenセッションの主要なメンバーであった。
 彼は自分がリーダーとしてのレコーディングを残していない。彼のプ
レイはルイ・アームストロングのHot Five/Sevenで聴くことができる。
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ジャック・ティーガーデン Jack Teagarden(Tb) 1905(Vernon, Texas)-1960
 インディアン系、トロンボーン・プレイの革新者。27年ニューヨークに出て、
ベン・ポラックやレッド・ニコルスのバンドでプレイをした。47年にはルイの
オールスターズに加入し活躍した。
 彼はキッド・オリーなどのテイル・ゲイト・スタイルを革新し、リップ・トリル
などのテクニックを駆使しトロンボーンを、トランペットと対等のソロ楽器に
引き上げた。

Rockin' Chair 10-1-1930
Tiger Rag 11-10-1931
Blue River 11-11-1933
Stars Fell On Alabama 9-18-1934
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ファッツ・ワーラー Fats Waller(Pf) 1904(New York, New York)-1943
 教会牧師の息子で、早くから教会でオルガンを弾いていた。ある日聴い
た自動ピアノの演奏でジャズに興味を持ち、そのピアニストに弟子入りし、
15歳の時にはプロとしてベッシー・スミスの伴奏をしたりしていた。

 彼はピアニストとしてもよいプレイをしたが、ミュージカルの作曲に秀で、
スタンダードの「浮気はやめた」は彼が作曲した曲だ。

Muscle Shoals Blues 10-21-1922
Ain't Misbehavin' 8-2-1929
Alligator Crawl 11-16-1934
Basin Street Blues 6-11-1937
Rockin' Chair 5-13-1941
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クラーレンス・ウイリアムス Clarence Williams(Pf) 1898(Plaquemine Delta, Louisiana)-1965
 彼はピアニストであり作曲家であり、そしてビジネスマンでもあった。弾いて
書いて、発行して、シンガーを発掘してレコーディングさせ、マネージメントし
た。彼はベッシー・スミスを発見し売り込み成功させた。
 彼はニューオリンズの外れで生まれた、インディアンとクレオールの混血で、
ストーリービルの安酒場でピアノを弾き始め、シドニー・ベシエとバンク・ジョン
ソンなどとプレイをした。
 ストーリービルの閉鎖で1920年にシカゴに移り、ニューオリンズ音楽の流行
を受けて、23年ニューヨークで音楽出版ビジネスを始めた。その年にベッシー・
スミスに彼が作曲した"Gulf Coast Blues"を歌わせ、楽譜を出版した。

Mixing The Blues 5-1923
My Own Blues 7-28-1924
Gravier Street Blues 7-28-1924
Wallflower Rag 7-2-1928
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ポール・ホワイトマン Paul Whiteman(Leader) 1890(Denver, Colorado)-1967
 1920年代の初期にストリングスを含む、シンフォニック・ジャズ・オーケス
トラを編成し、24年ニューヨークのエオリアン・ホールで、ガーシュインの
Rhapsody In Blueを初演したことで有名。

 スイートなジャズ・バンドでホットではないが、多くのサイドメンを育てた。


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リル・アームストロング
ルイ・アームストロング
■ ウ ■
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■ エ ■
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■ オ ■
キング・オリバー
キッド・オリー
■ カ ■
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リー・コリンズ
エディー・コンドン
■ ク ■
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■ ケ ■
フレディー・ケパード
■ シ ■
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バンク・ジョンソン
ジェームス・P・ジョンソン
■ ス ■
ベッシー・スミス
■ セ ■
ジョニー・セントクレア
■ テ ■
ジャック・ティーガーデン
■ ト ■
ジミー・ドッズ
ベビー・ドッズ
ジミー・ドーシー
トミー・ドーシー
■ ニ ■
レッド・ニコルス
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