都市の城壁・城郭シリーズ
世界の路面電車「線路地図」作成から派生したコンテンツ
リスボン(ポルトガル)
(Wiki)
 リスボン(Lisboa)はポルトガルの首都で同国最大の都市。大西洋に流入するテージョ川の河口に位置する港湾都市である。人口55万人近郊を含む都市的地域の人口は238万人であり、ポルトガルの人口の20%以上に相当する。
 テージョ川沿いのすぐ近くまで丘が迫っており、市街地の多くはその丘の上に発達している。そのため坂の多い街であり、これらの坂を上り下りする市電が名物である。

歴史
 リスボンは古代から港として利用されてきた。紀元前のギリシア人の集落跡が出土している。紀元前205年にローマの支配下に入り、紀元前48年にはカエサルによりローマ都市の資格を与えられた。719年にイスラム教徒であるムーア人に占領される。1147年に最初のポルトガル国王が支配権を奪うまで支配されたが、1260年にはポルトガル王国の首都となった。
 15世紀はじめには大航海時代の幕開けとともに、世界貿易の中心都市となって35万人の人口を有し、当時の世界最大級の都市となった。しかし1531年に地震で被害を受け、また1569年にはペストにより6万人の死者を出した。さらに1755年の大地震で約6万人の死亡者を出した。市内は津波と火災により多くの家屋も損傷し、国内経済にも影響を与える甚大な被害を受けたがのちに再建された。1924年から1974年のファシズム政権を経て、1910年共和制革命により現在に至る。



 右上にサン・ジョルジェ城、左中にアジュダ宮殿、その下にベレン宮殿、左下の旗がムーア要塞。赤と青の線は有名な路面電車。





 サン・ジョルジェ城 は市内の高台にそびえる。紀元前6世紀までに砦があり、その後は古代ギリシャ、古代ローマ、ムーアなどな支配した。城とリスボンの町は147年に第2回十字軍の援助によりムーア人から取り戻された。城はリスボンが王国の首都になり1255年に王宮となった。1373年から1375年にかけリスボンを取り巻く、77の塔をもつ周辺5.4kmの城壁をつくられた。王宮ではインド航路開拓者ヴァスコ・ダ・ガマを歓待するのにも使われた。1531年の地震で城は損害を受けが1569年に再建された。1755年の地震で城はさらに被害を受け、1940年代まで放置され続けた後に再建された。



 アジュダ宮殿はネオクラシカル様式の宮殿。19世紀に王家の王宮として建てられた。1755年の地震でリベイラ宮殿が崩壊した跡に建てられた。1861年以後王家の恒久的な王宮となった。1910年に軍事クーデターで王政が廃止され現在は博物館となっている。



 ベレン宮殿は16世紀の貴族により河岸の丘に建てられた。1755年のリスボン地震で影響を受けず、王宮として王族が住み時には迎賓館ともなった。1912年ポルトガル共和制が樹立すると、大統領公邸となり現在に至る。



 ベレンの塔は世界遺産に登録されている。16世紀にヴァスコ・ダ・ガマの世界一周の偉業を記念して作られた。テージョ川の船の出入りを監視する目的の要塞である。更に太平洋に面する湾口に見事な星稜型要塞がある。