都市の城壁・城郭シリーズ
世界の路面電車「線路地図」作成から派生したコンテンツ
ユトレヒト(オランダ)
(Wiki)
 ユトレヒト(Utrecht)は、オランダのユトレヒト州にある基礎自治体。
オランダ第4の都市であり、ユトレヒト州の州都でもある。首都アムステルダムから30キロほど南に位置する。17世紀に始まるオランダ黄金の時代にアムステルダムがその地位を奪うまで、ユトレヒトは北オランダで最も重要な都市であった。国土のほぼ中央付近という地理的条件より、各地からの道路や鉄道網の重要な結節点となっている。

歴史
 ユトレヒトの起原はローマ帝国が47年頃に建てた要塞である。ローマ帝国の国境であるライン川河畔にあった。500人ほどの規模の軍隊が駐留しており、職人、貿易商人、兵士の妻や子供からなる入植地があった。2世紀の半ばにはゲルマン人がたびたび侵入し、270年頃ローマ軍はユトレヒトを放棄した。
 中世を通じて、ユトレヒトは北ネーデルラントでもっとも重要な都市であった。ユトレヒトの最初の司教であった。695年、大司教に任命されユトレヒトを領地として1122年ユトレヒトは都市権を得た





 旧市街の中心を流れる旧運河は、元はライン川の支流であったものを運河にしたもので、旧市街は19世紀まで存在した城壁の内側にまとまっており、旧市街を取り囲む運河は城壁を囲む堀で、東側に点在する砦群とともに19世紀の『洪水線』を構成する要塞の一部として、十字砲火を考慮した造りとなっている。


 上の前線支城ザイスト城はさらに東方の第一戦見張り所である、下のピラミッド・ファン・アウステルリッツ砦からの通報を受けると、さらに後方に展開する砦軍に急報し堀を開け、ユトレヒトに至る原野をあまねく洪水にした。

 下の最西方の本城デハール城は水びたしとなった、ユトレヒト周辺で苦戦する敵方を攻撃した。


       デハール城
のStreetViewとユトレヒト直前の4つの砦
洪水線の一部をなしていた砦も現在でもはっきりと残存しており、新市街の外周にブラウカペル砦やビルトストラート砦などがある。