都市の城壁・城郭シリーズ
世界の路面電車「線路地図」作成から派生したコンテンツ
メッシーナ(イタリア)
(Wiki)
 メッシーナ(Messina)はイタリア南部の島、シチリア州メッシーナ県のコムーネ。メッシーナ県の県都である。人口は25万人、都市圏には50万人が暮らす。メッシーナ海峡に面したシチリア島北東端に位置し、海峡を挟んでイタリア本土のと向かい合っている。

歴史
 紀元前8世紀ギリシャ人植民者によってメッシーナはつくられた。紀元前288年傭兵軍が市を攻撃し基地となった。紀元前264年、ローマ軍はシチリアへ配備され市はローマと同盟した自由都市となった。ローマ時代には砦が築かれ重要な灯台をもっていた。ローマ帝国滅亡後、市は535年に東ローマ帝国、842年にアラブ人、そして1061年にはノルマン貴族によって征服された。1548年、メッシーナにはじめてのイエズス会学校を設立した。後に現在のメッシーナ大学となった。
 1783年メッシーナに大震災が発生した。更に1908年の大震災でほぼ市全てが破壊され、津波によって6万人が亡くなり、古くからある建物の多くが破壊された。その後にモダンで合理的な都市計画によって、市はその後の年月で広範囲に再建された。第二次世界大戦中の1943年、さらなる打撃が連合国側の執拗な空爆で加えられ、数千人の死者を出した。



   左ガンザガ城塞、半島根元に城壁跡、中程に灯台砦、岬に要塞



 ゴンザガ城は丘の上(160m)の堂々とした要塞で、1545年に完成し砦は海峡上の位置を考慮して、メッシーナの全体防御構造が拡大し強化された。今日砦はよく保存されている。テラスから市内の美しい景色や海峡を楽しむことがでる。



 港を釜の形に取り囲む半島は、かっては島であり本島とは地下トンネルでつながっていた。半島に三つの要塞(跡)があるように、半島全部が要塞化されていたのあろう。



 サルヴァトーレ要塞は、鎌の形をした半島の岬の先端に位置し、1546年に作られた戦略的で重要な砦。砦は海峡上の位置を考慮して、要塞だけでなく防波堤に加え海軍基地も作られた。1783年の地震で甚大な被害を被ったが修復された。海からの攻撃を要塞は半島の根元の城壁と一緒に、大砲で守られていた。現在この砦はは地域博物館となっているが、港の軍事利用のために排他的になることがある。



 Raineri灯台砦は古い塔で1555年に作られた。切石アーチと強大な城壁で守られた火薬庫を備えている。要塞は1908年地震によって被害を受け、その後灯台が修復され、海軍兵舎が併設されている。



 城壁砦は半島先端のサルバトーレ要塞と灯台砦との連携して海峡の防衛していた砦の廃墟。巨大な城壁に囲まれた五角形の要塞で難攻不落だった。1908年の地震と第2次世界対戦の爆撃で廃墟となり、その跡地に鉄道駅や連絡船桟橋、造船所が作られ解体され放棄されている。