都市の城壁・城郭シリーズ
世界の路面電車「線路地図」作成から派生したコンテンツ
ミラノ(イタリア)
(Wiki)
 ミラノ(Milano)はイタリアの北西部の中心都市で、ミラノ県の県都およびロンバルディア州の州都である。人口は130万人と首都ローマに次ぎ第2位、北部イタリアにおいては最大の都市で商業、工業、金融の中心。
近郊を含む都市圏人口は436万人であり、イタリア最大の都市圏を形成している。
歴史
 紀元前600年のケルト人の町を元にしている。前222年にローマ帝国のもとで繁栄し、4世紀には西ローマ帝国皇帝の宮殿が置かれ、西ローマ帝国の首都であった。450年ごろフン族の略奪、539年にはゴート族に破壊されたが、8世紀末ごろに再び繁栄し始めた。中世を通じてミラノは大司教に統治されたが都市の独立性を保ち、11世紀には富裕な自治都市へと変化させ、成長の回復と神聖ローマ帝国からの独立を果たした。
 1162年ミラノは神聖ローマ帝国の軍隊に破壊されたが、1176年には打ち破り、初代ミラノ公の時代には繁栄を極め黄金時代を迎えた。しかし15世紀の北部イタリアの拡張時代の後、1500年にフランス軍がこの町を占領。1535年にスペインの統治下にはいった。スペイン継承戦争後、1714年にオーストリアに帰属することになった。
 ナポレオンは1796年にオーストリア人を追い出したが、1815年オーストリアの手に戻りイタリアの抵抗運動の中心地となった。1859年フランスの援助でオーストリアから解放し、1861年にイタリア王国に加わり引き続き発展した。1859年の第二次イタリア独立戦争の結果、イタリア王国の一部に編入された。
 第二次世界大戦ではイタリアが降伏した1943年以降に、ドイツ軍の統治下に入ったため、イギリス軍やアメリカ軍をはじめとした連合国軍による激しい爆撃をうけたが、戦後急速に発展して復興をとげた。



      中心にスフォルツァ城、右下のマリーノ宮前にミラノスカラ座



 スフォルツェスコ城またはスフォルツァ城(Castello Sforzesco)は、1450年にミラノ公爵が居城として建設した。後年この地を征服したナポレオンによって、一部の施設が破壊された。もともとは星型の形状の広大な城郭であったが、現存しているのは元々の面積の1/4程度以下であり、残りの敷地は公園や道路となっている。
 現在、スフォルツェスコ城の内部は市立博物館となっていて、内部にはミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」などが展示されている。またアッセの間の天井と壁にはレオナルド・ダ・ヴィンチが壁画を残している。








      
     マリーノ宮は個人の居館が破産しミラノ市が買取ったらしい