都市の城壁・城郭シリーズ
世界の路面電車「線路地図」作成から派生したコンテンツ
マンハイム(ドイツ)
(Wiki)
 マンハイム(Mannheim)はドイツの南西部、バーデン=ヴュルテンベルク州の最北端に属する郡独立市。人口約31万人を擁する大学都市で、オーバーライン地方北部のライン川と、ネッカー川が合流する地点に位置している。市域はライン川の右岸、ネッカー川の両岸に広がる。

歴史
 マンハイム村は766年の文献上からはじまる。小さな漁村であったが1284年にライン宮中伯の所領となり、1349年にライン川を航行する船から関税を徴収するための城が築かれ、この村は次第に重要性を増していった。1462年にマンハイムの選帝侯は敵同盟軍を撃破、勝利侯として、オーバーラインの覇権を握った。
 1606年選帝侯は城塞建設の基礎工事を開始し、隣接する城下町を格子状の道路網を敷設したの現在まで遺されている。1720年に選帝侯は宮殿を造営し宮廷都市となったが、1778年に宮廷がミュンヘンに移され、1795年にはフランスが占領しオーストリアが奪い返すといった戦いがあり、1803年にマンハイムはその政治上の地位を喪失した。市民階級の経済力向上に伴い1828年にライン川に港が、1840年には鉄道が開通し政治の中心都市となった。
 ナチス時代には、2,000人近いユダヤ住民が追放された。第二次世界大戦の空爆によってこの都市はほぼ完全に破壊し尽くされ、1945年にアメリカ軍に占領された。この都市の再建は宮殿と水道塔から再建され、1964年に市立病院が大学の臨床医学部を併設し大学都市となった。



 ライン川とネッカー川に挟まれた円形の市中心部は、格子状に直交する道路で区切られたマンハイムの四角形と呼ばれる、バロック様式の顕著な都市計画である。宮廷は円形の最南端(時計の6時)に位置し、南側の宮廷庭園がライン河に接している。宮廷の中心から北へ真直ぐ伸びる大通りの先端、時計の12時位置にネッカー門があった。また、円の中心を東西(3時~9時)に横切る大通りとの交点に、閲兵広場が位置している。こうした街路配置を用いることは、宮殿の超越性を明らかにするものであり、絶対王政を表現したものであると解釈される。



 マンハイム宮殿は選帝侯の宮廷で1720年から1760年に建設された。ヴェルサイユ宮殿に次いでヨーロッパで2番目に大きなバロック建築であった。市中心部に向いた正面の幅は440mに及び、南北の並行に走る7本の道路の終結点になっている。第二次世界大戦で完全に破壊された後、簡略化された形で再建され宮殿内に城館博物館が開館した。