都市の城壁・城郭シリーズ
世界の路面電車「線路地図」作成から派生したコンテンツ
ポツダム(ドイツ)
(Wiki)
 ポツダム(Potsdam)はドイツも東北部に位置する郡独立市。ブランデンブルク州の州都である。人口は約15万人。旧東ドイツ領。ベルリンの西南近郊に位置し、ベルリンの中心街から約26kmである。ハフェル川が流れいくつかの互いにつながった湖がある。

歴史
 ポツダムは"Poztupimi"と呼ばれるスラヴ人の村として7世紀に設立された。名前の意味は「樫の木の下」と思われる。993年に最初に文書に記述され、1317年までは小さな町として記述されていた。1660年にブランデンブルク選帝侯の狩猟館として選ばれた。その後にも宮殿が置かれるなどプロイセン公国の拠点の一つとして発展した。その後プロシア王家の居住地となった。王家の壮大な建造物は18世紀半ばに建てられた。そのうちの一つが庭園とロココ様式の内装で有名なサンスーシー宮殿である。他には、新宮殿やオランジェリー宮殿がある。
 1933年の国会開会式はこの地の教会で開会され、この日はナチス時代の始まりを象徴する日として「ポツダムの日」と呼ばれる。1945年、4月14日から15日には大規模な空襲に見舞われた。第二次世界大戦においてドイツが降伏した後、この都市のツェツィーリエンホーフ宮殿で米、ソ、英の3首脳が集まり、ポツダム会談が行われた。この会談でドイツをふくめたヨーロッパなどの、戦後処理を決定するポツダム協定が成立した。また会議日程中には日本に対する降伏要求であるポツダム宣言が発された。その後日本もポツダム宣言を受諾し降伏した。



 左からオランジェリー宮殿、サンスーシー宮殿、ツェツィーリエンホーフ宮殿、バーベルスベルク城。



 サンスーシ宮殿はロココ建築の宮殿。プロイセン王国時代の1745年から1747年にかけて建てられた。夏の離宮として建てられたが結果的にはここが居城となった。1990年に宮殿の建物および庭園は、「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」の1つとしてユネスコの世界遺産に登録された。宮殿の庭園の西に大きな風車小屋が建っている。景観に入る位置だったため取り壊しを命じた。しかし所有していた農夫から生活を奪わないでほしいと訴えられ、王はこの風車小屋をそのまま残したという。現在もこの逸話のためか、堂々とその風車小屋は建っている。



 オランジェリー宮殿の建物は、300メートルの長いフロントをもつ、イタリア・ルネッサンス様式で、ツインタワーの真ん中の建物は実際の城である。



 ツェツィーリエンホーフ宮殿は1917年建設された。日本ではポツダム会談が開かれた場所として有名。



 バーベルスベルク城は将来の皇帝の夏の離宮として、ゴシック様式の建物で1835-1849年に建てられた。