都市の城壁・城郭シリーズ
世界の路面電車「線路地図」作成から派生したコンテンツ
ヘルシンキ(フィンランド)
(Wiki)
 ヘルシンキの(海水域を含めた)総面積は716k㎡で、そのうち陸地が214k㎡、陸水が1k㎡、残りの502k㎡が海水域である。ヘルシンキには315の島があり、海岸線は98キロメートルにも及び、湖として分類される陸水がない。主な島としてセコルケアサーリ(フィンランド最大の動物園としても有名)や後出のスオメンリンナ島が挙げられる。

歴史
 1550年スウェーデンによって建設された港湾都市。都市の建設と入植は困難を極め、火事、疫病、飢饉、戦争など度重なる災禍に見舞われ、特に1710年のペストでは人口の3分の2を失った。町の存亡さえ危惧された小さな港町だったが、スオメンリンナ要塞の建設が都市の発展の契機となった。
 第二次ロシア・スウェーデン戦争(フィンランド戦争)で軍事的な重要性を帯る。戦争の結果1809年にフィンランドはロシアに割譲されフィンランド大公国が誕生、
ロシアが1812年にフィンランド大公国の首都をスオメンリンナ要塞のあるヘルシンキに遷都させたことで、フィンランド一の都会へと変貌を遂げることになる。
第一次世界大戦後の1917年にフィンランドは独立を宣言、ヘルシンキは正式に首都となる。第二次世界大戦期にはソ連軍の猛爆撃を受けるが、都市防衛には成功し首都の戦禍としてはヨーロッパの参戦国では最も軽微で済んだ。

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 スオメンリンナの要塞は、フィンランドの首都ヘルシンキ市内の6つの島の上に建造された海防要塞で星型要塞の一例である。1748年にスウェーデン=フィンランドはロシア帝国に対する守りを目的として要塞の建造に着手した。当初案には当代きっての築城の名手の強い影響で、島の要塞自体に加えて本土の臨海要塞群が足がかりとなる海岸堡を築けないようにしていた。また、計画には駐留スウェーデン海軍とフィンランド分遣隊全体の軍需品の備蓄も盛り込まれていた。
 フィンランド戦争中の1808年に要塞はロシア軍に占領され、1809年のロシア軍によるフィンランド占領の足がかりとなった。この時には実害がほとんどなかったが、1855年のクリミア戦争のときには、イギリス海軍とフランス海軍による艦隊の艦砲射撃で損害を被った。1973年には民政下に置かれ、1991年に世界文化遺産に登録された。