都市の城壁・城郭シリーズ
世界の路面電車「線路地図」作成から派生したコンテンツ
プラハ(チェコ)
(Wiki)
 プラハ(Praha)はチェコ共和国の首都であり、同国最大の都市である。。人口は、約120万人。市内中心部をモルダウ川が流れる。古い町並み・建物が数多く現存しており、尖塔が多くあることから「百塔のプラハ」とも呼ばれる。

歴史
 6世紀後半にスラヴ民族により、モルダウ川河畔に集落が形成された。9世紀後半にはプラハ城、10世紀頃にヴィシェフラト城が建てられ、両城に挟まれたこの地に街が発達した。しかし、プラハは度重なる戦渦に巻き込まれ荒廃してしまう。1346年に神聖ローマ帝国の首都はプラハに移され、ローマなどと並ぶ、ヨーロッパ最大の都市にまで発展し「黄金のプラハ」と形容されるほどだった。
 次代国王の1415年に戦争が勃発、ローマ教皇の十字軍を破り、その後の15世紀~16世紀プラハはヨーロッパの文化の中心都市として栄華を極めた。
しかし、1618年に三十年戦争に発展し、1648年スウェーデン軍に包囲され、王宮はウィーンへ移転されプラハは人口が激減する。その後、宗教弾圧や文化弾圧などを受け、2世紀以上にわたって「暗黒の時代」の空白時代を迎えた。
 第一次世界大戦終結後の1918年に、チェコスロヴァキア共和国が成立すると、プラハ城に大統領府が置かれ首都となった。しかし、1938年、ナチス・ドイツによって占領され、第二次世界大戦中はユダヤ人約5万人がナチスによって殺害された。第二次大戦後は社会主義国チェコスロヴァキアの首都となった。1968年にはプラハの春と呼ばれる改革運動が起こり、1989年の革命により共産党政権は崩壊、1993年にチェコとスロヴァキアが分離するとチェコの首都となった。



        上方がプラハ城、その下にヴィシェフラット城(跡)







 プラハ城はかつてのボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であり、現在はチェコの大統領府である。この城は世界でも最も大きい城の一つであり(ギネスブックによると、最も古くて大きい城である)、敷地の広さは東西430メートル、南北70~140メートルで細長い形をしており、大きさは長さは約570m、平均の幅は約130mである。10世紀には既にこの大きさであったと考えられている。城は丘の頂にあり麓との高低差は80メートルもある。







ヴィシェフラット城は丘の上の城跡で、名前は「高い城」を意味する。またこの地区の地区名でもある。丘に城が築かれるようになったのは、10世紀も後半のころである。これはプラハ城より後のことである。ただし、それ以前から人の手の加わっていた跡はある。現在に至るも城の建つ以前の詳しいことはわかっていない。城は当時のプラハ市域の外にあって、モルダウ川の東からプラハと川を押さえる大事な拠点であった。