都市の城壁・城郭シリーズ
世界の路面電車「線路地図」作成から派生したコンテンツ
ブラチスラヴァ(スロバキア)
(Wiki)
 ブラチスラヴァ(Bratislava)は、スロバキアの首都で同国最大の都市である。チェコスロバキア建国後の1919年に現名称に改称した。スロバキアの西端に位置し、ドナウ川に面した都市。スロバキアの政治、文化、経済の中心都市であり、国家の首都としては珍しくハンガリー、およびオーストリアの2か国の国境に接している。人口は42万8791人。

歴史
 新石器時代に人類が定住を始め、紀元前400年にはケルト人が生活していた。紀元前125年ごろケルト人が城塞都市を、ブラチスラヴァ西の丘陵地帯に設け、ドナウ川一帯のケルト人の中心地の一つになった。1世紀にはローマ帝国軍の駐屯地となり、防塁やジェヴィーン城が建設された。5世紀から6世紀にかけての民族移動時代にスラブ人が定住。
 907年にはハンガリー王国の国境城塞として初めて文献に登場し、王国の国境の要として戦略上の重要拠点として成長した。11世紀にはスラブ人住民によってオーストリアとハンガリーの商業中継地としての地位を確立。13世紀にはドイツ人が多く入植し、1291年に都市法を獲得して中世都市の形を整えた。その後オスマン帝国の侵攻でブダ(ペスト)が支配されたため、1536年から1784年までハンガリー王国の首都となった。
 ナポレオン戦争中の1809年にはフランス軍が侵攻して占領され、ブラチスラヴァ城は1811年にフランス軍の失火による大火災が発生して荒廃する。第一次世界大戦後の1918年、チェコスロバキア共和国が誕生し、都市名をブラチスラヴァに改称した。1939年にナチス・ドイツ傀儡政権が誕生たが、1945年にソビエト赤軍の侵攻によって政権は崩壊した。第二次世界大戦を経て、民主化後の1993年1月1日にチェコから分離独立し、主権国家スロバキア共和国の首都となった。



 右下がブラチスラヴァ城、その上にGrassalkovich宮殿、左上がジェヴィーン城(跡)。川を挟んだ左下はオーストラリア。





 ブラチスラヴァ城はドナウ川を見下ろす高台の上にあり、かつてマリア・テレジアの居ともなっていた古城で、城内からはドナウ河や付近の林野、市街が一望できる市内随一の観光名所となっている。城の四隅の塔をテーブルの脚に見立てて、「ひっくり返したテーブル」という愛称を持つ。城内は国立歴史博物館になっている。



 Grassalkovich宮殿は女帝マリア・テレジアのために、1760年に構築されたロココ様式の夏の宮殿。豪華な宮殿はかつて貴族の社会生活に人気の場所だった。
現在では、スロバキア共和国の大統領の官邸として使われている。



 ジェヴィーン城(跡)は1世紀のローマ帝国の軍駐屯地となり、防塁や城塞が造られた。