都市の城壁・城郭シリーズ
世界の路面電車「線路地図」作成から派生したコンテンツ
フィレンツェ(イタリア)
(Wiki)
 フィレンツェ(Firenze)は、イタリアのトスカーナ州フィレンツェ県に属する人口36万人の都市である。トスカーナ州の州都、フィレンツェ県の県庁所在地。
 古代ローマ時代、花の女神フローラの町としてフロレンティア (Florentia) と名付けた事が語源とされている。

歴史
 古代に町として建設されたが、直接の起源は紀元前59年、カエサルによって入植者への土地貸与が行われ、ローマ植民都市が建設されたことによる。中世には一時神聖ローマ帝国皇帝が支配したが、次第に中小貴族や商人からなる支配体制が発展し、12世紀には自治都市となった。
 1300年頃、二つの党派による内乱がはじまった。このような内部抗争が起ころうとも都市は繁栄していた。その後、交易と毛織物業や金融業で莫大な富を蓄積し、フィレンツェ共和国の首都になった。商人と銀行家は市政の指導的な立場にたち、フィレンツェを美しい都市にする事業に着手した。14~15世紀にはミラノとの戦争をくりかえし、1406年にアルノ川下流にあるピサを獲得して待望の海を手にした。
 1434年メディチ家は名目上は一市民でありながら、共和国の真の支配者となった。孫のロレンツォの時代には、画家のボッティチェッリやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの巨匠が活躍するルネサンス文化の中心地となって学問・芸術の大輪の花が開いた。
 18世紀から19世紀まではナポレオン時代を除いて、オーストイアの支配下にあったが、1860年にイタリア王国に合併された。
 第二次世界大戦中、フィレンツェの記念建築物の大部分は被害をまぬがれた。また1966年の大洪水でたくさんの芸術財産が被害をうけたが、その多くは精巧な修復技術で数年をかけて復元された。



        北岸にヴェッキオ宮殿、南岸に要塞とピッティ宮殿



 ヴェッキオ宮殿(Palazzo Vecchio)は、シニョリーア広場に面している。1299年から1314年にかけて建設され、フィレンツェ共和国の政庁舎として使われ、一時メディチ家もピッティ宮殿へ移るまでここを住居としていた。現在でも市庁舎として使われている。





 ピッティ宮殿(Palazzo Pitti)は、ローマ時代の要塞に隣接して立てられたルネサンス様式の広大な宮殿。トスカーナ大公の宮殿として使用された。現在この建物は美術館として一般に開放されている。





         ローマ時代の要塞の城壁が残されている