都市の城壁・城郭シリーズ
世界の路面電車「線路地図」作成から派生したコンテンツ
シントラ(ポルトガル)
(Wiki)
 シントラ( Sintra)は、ポルトガル中西部の都市で、首都のリスボンに隣接する地方自治体である。シントラの旧市街には約3万人が居住しているが、市全域では36万人を超える人口がある。
 ムーア人が築いた要塞の跡や、ポルトガル王室の夏の離宮など、様々な年代の文化財が集積していることから観光地として有名であり、また、ユーラシア大陸最西端のロカ岬への観光の拠点でもある。

歴史
 11世紀のアラブ人の地理学者による記述が残っており、後には詩人バイロンが「エデンの園」と称賛した。8世紀ないしは9世紀にはムーア人が、山頂に要塞を建設したとされる。シントラのポルトガル併合は1147年のことであり、このとき、町の大部分の城砦が破壊された。
 1493年コロンブスがスペイン国王のもとへ航海を続けた際に、突風に巻き込まれシントラの岩壁に避難したこともある。

 シントラの宮殿群や城跡の文化財は、「シントラの文化的景観」として、1995年ユネスコの世界遺産に登録された;
 ・シントラ汪宮(pt:Palacio Nacional de Sintra)
   - 14世紀にジョアン1世によって建てられた夏の離宮。
 ・ペーナ宮殿(pt:Palacio Nacional da Pena)
  - マリア2世の王配フェルナンド2世が建設した。
 ・ムーア要塞跡(pt:Castelo dos Mouros (Sintra)
  - 7から8世紀にムーア人によって建設された。現在は廃墟化している。
 ・レガレイラ宮殿(pt:Palacio da Regaleira)
  - 12世紀に建設された王族の別邸。



 中上にシントラ王宮、中下にペーナ宮殿、中央の旗がムーア要塞、右上にレガレイラ宮殿が位置している。有名な路面電車は地図の上方を走っている。





 シントラ国立王宮は少なくとも15世紀初頭から、19世紀後半にかけポルトガル王家が住み続けており、ポルトガル国内で最も保存状態の良い中世の王宮である。初期のポルトガル王が住んだ宮殿は遺っていない。14世紀初頭の王室礼拝堂が遺るのみである。現在の王宮の大部分は、1415年頃から始まった建設計画で建てられた。
 王室はこの宮殿を非常に好み長く滞在したり、王宮生まれ死んだり、宮殿でポルトガル王即位を宣言したりした。1497年から1530年にかけての建築では、大航海時代の発見による富が惜しげもなく注ぎ込まれた。1755年のリスボン地震で宮殿全体が傷んだが、現代的な理由から『古風に』修復された。1910年の共和国樹立と同時に、宮殿は国の文化財となった。



 ペーナ国立宮殿は、巨大な岩々の上に壮大に立つ宮殿として有名である。
1755年のリスボン地震が首都と周辺地域を荒廃させ、ペーナ修道院は廃墟と化した。1836年に廃墟の修道院を再建し、王家の夏の離宮となる新しい部分を付け加えた。現在、ポルトガル王国大統領と外国からの賓客の、公的行事の場として使用される。



    岩の峰を伝うムーア要塞、はるか向こうにペーナ宮殿が見える





                  レガレイラ宮殿