都市の城壁・城郭シリーズ
世界の路面電車「線路地図」作成から派生したコンテンツ
グダニスク(ポーランド)
(Wiki)
 グダニスク(Gdansk)はポーランドのバルト海南部に面するポモージェ地方東部に位置し、グダニスク湾を擁するポーランド最大の港湾都市であり、ポモージェ県の県都である。地名はここを流れるモトワヴァ川の古名であるグダニャ川から来ている。

歴史
 グダニスクの砦は980年ごろ原住民との戦いを終えてから建設したものである。1308年までにグダニスクは1万人を超える人口を抱える繁栄した貿易港となっていたが、1308年11月13日にドイツ騎士団に占領された。この結果ドイツ騎士団とポーランド王国との間で戦争となった。1343年に和約が結ばれ、騎士団がポーランド王国に賃料を支払うことで騎士団に貸与されることとなった。市民は徴税権や裁判権を濫用するドイツ騎士団の支配を嫌っており、1409年に勃発したポーランドとドイツ騎士団との戦争では、市民はポーランド側に就いた。この戦争は1410年ポーランド王国の勝利によって終結した。しかし翌年に行政上の理由によりポーランド王国は再びドイツ騎士団に賃貸しすることになった。1440年ポーランド王国の庇護を求め13年戦争を起こした。戦争は1457年ポーランド側の勝利によって終結し、王国の自治都市としての特権を与えられた。こうしてポーランド王国の直接の庇護を得た16世紀と17世紀は、グダニスクの貿易と文化にとってまさに「黄金時代」であった。
 18世紀、度重なる戦争によって1734年にはロシアに占領された。第一次世界大戦後はヴェルサイユ条約によりドイツ領から切り離され、どの国にも属さない国際連盟保護下の「自由都市ダンツィヒ」となった。1933年にナチスが第一党となりポーランド系住民に対する弾圧が行われた。1939年のポーランド侵攻に際して、7日間の激戦の後に降伏しドイツに占領された。第二次世界大戦末期、ドイツ軍と連合国軍との激しい戦闘により大半が破壊された。
 1952年にポーランドが独立を回復すると、ダンツィヒはもとの「グダニスク」を公式名称としてポーランド領に編入された。実に159年ぶりのポーランド領への復帰であった。旧市街など、戦争で廃墟となっていた市街地は、残された資料をもとにポーランド人の手によって完全に復元された。1980年代初め、ポーランドを民主化に導く「連帯」の指導者だったワレサがポーランド大統領になった。




 上の河口にビスオウイシチェ要塞、中央にグロジスコ要塞、そして下方に旧市街を守るトゲ型の堀割が見える。







 ビスオウイシチェ要塞は軍事建築の世界最大の遺産の一つで、歴史は15世紀に遡る。幾度も増築され戦略的で広大なこの要塞は、長年に亙ってポーランドを守り続けてきました。例えば1627年にこの要塞を出発したポーランドの船団は、スウェーデンの船団と戦ってオリバ付近で勝利を収め、戻った時は祝砲の音と白鷲の旗で大歓迎を受けた。このように昔からポーランドの歴史においても非常に重要な要塞であった。





 グロジスコ要塞は17世紀に遡り、この要塞は軍事建築の複合体で、この要塞のお陰で18世紀にロシア軍に包囲された時に、ロシア軍を敗ることができた。また1807年のナポレオン軍の攻撃時に要塞の近代化と砲列の建設が実現された。



                 旧市街を守る堀割城塞