都市の城壁・城郭シリーズ
世界の路面電車「線路地図」作成から派生したコンテンツ
ウィーン(オーストリア)
(Wiki)
 ウィーン(Wien)は、オーストリアの北東部に位置する首都。市の中央を、北西から南東にかけてドナウ川が横切っている。都市単独で一つの連邦州であり、ヨーロッパ有数の世界都市である。人口は176万人。
 クラシック音楽が盛んで「音楽の都」・「楽都」とも呼ばれる。

歴史
 ローマ帝国の宿営地ウィンドボナをその起源とし、中世にもドナウ河沿いの交易地として発展した。1221年、ウィーンは都市特権を獲得し1278年よりオーストリア公の支配下におかれた。14世紀にシュテファン大聖堂やウィーン大学が建てられている。16世紀に入るとドイツの神聖ローマ帝国の帝位を独占し華やかな貴族文化が栄えていた。
 17世紀末からは旧市街の王宮ホーフブルクに加え、離宮のシェーンブルン宮殿が造営され、これが18世紀末から現在に至る「音楽の都ウィーン」の礎となった。19世紀半ばに産業革命を迎え1873年にはウィーン万国博覧会も開催されている。皇帝は大規模な都市改造を行い市壁を撤去し、環状の道路(リング)と置き換え路面電車を導入するとともに、歴史主義的建造物やモニュメントを街路に面して配した。現在のウィーン旧市街の外観はこの改造によっている。
 1914年に始まった第一次世界大戦は1918年にドイツ・オーストリア側の敗北をもって終戦した。オーストリア帝国は解体し、チェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビア、ポーランドなどが次々と独立、このような時代をウィーンで過ごしたヒトラーはドイツで独裁者となり、母国オーストリアをドイツに併合した。
 1945年、第二次世界大戦でナチスは崩壊し、ウィーンは米英仏ソ四ヶ国の共同占領下に置かれた。1955年にオーストリアは主権国家として独立を回復し、永世中立国として歩むことになった。



 赤い太線で囲まれた旧市街(リング)内の南西端が旧王宮、更に南西郊外にシェーンブルン宮殿、リング南東外にベルヴェデーレ宮殿(上・下宮)がある。旧市街のリング内には旧王宮・国立歌劇場・自然史博物館・美術史博物館などがあり、 ベルヴェデーレ宮殿とシェーンブルン宮殿と庭園群ともども世界遺産に登録されている。



 ホーフブルク旧王宮はリング内の南西にあり、最初に作られたのは13世紀頃と言われている。現在は連邦大統領の公邸などがある。



 シェーンブルン宮殿は離宮として使用した。建物は部屋が1,441室あり、両翼の端から端まで180mあり、正面右側翼には宮廷劇場がある。



 ベルヴェデーレ宮殿は夏の離宮として造られ、1716年に下宮(下の写真)、1723年に上宮(上の写真)が建設された。現在はオーストリア絵画館になっている。