大和へ届け、沖縄の心 
ヤマトへとどけ           しまぬくくる

 琉球に生まれた天才舞踊家の、壮絶なる«天国»と«地獄»
18世紀の前半、那覇の街に蘇了泉という貧しい少年がいた。王府の踊奉行に才能を見出された了泉は生きるため、絢爛たる舞踊の世界に飛び込む。

 その先に待っていた運命とは-。協力者と敵対者、そのすべての運命を呑み込みながら、ひとりの天才舞踊家が琉球に嵐を巻き起こす!  テンペストを凌ぐ池上サーガの至高の到達点!!(装丁帯より)


(あらすじ:まな兵衛)
 琉球は士族と百姓の階級社会、その下に非人の乞食がいる。彼らは念仏者(ニンブチャー)として貧民の葬儀と埋葬を生業とする。 そのニンブチャー部落から不業の業病に冒された母とともに追い出され、那覇の市で曲芸一座の呼び込みで一日の糧をかろうじて稼ぐ乞食少年がいた。 その了泉の素早く生き生きとした動きを王府の踊奉行が目をつけ弟子として舞踊を仕込む。
 やがて了泉は楽童子として江戸上りで天才ぶりを発揮し士族に出世する。 王府で組踊の創始者に見出され活躍するが冊封使の歓迎式典で失敗した了泉は義父を殺し元のニンブチャーに貶される。 初心に戻った了泉は最下層の社会で黙々と舞踊に励み、久高島のノロに学びついには斎場御嶽で太陽しろの王の月しろの至高に至る。
以下、ストリーは追わず章順に織り込まれた舞踊詩歌と組踊歌曲を掲げる

●第一章 千年の夢
 元始、琉球の大地は月に育まれると信じられてきた。月が刻む刻のことを『月しきんじょうろ』と呼び神の世界とされた。 人は『太陽(テダ)しろ』を生き、神は月しろを生きる。もし、月しろを知る人間がいるならば、その者は千年を生きる者である-。
なわしろのみやに
月しろはてって
つきしろす
なさいきょもいまふりよわめ
けふのよかるひに
    苗代の庭に
月しろは両手を重ね
月の光が
祈るように降り注いでいる
今日の吉かる日に
 

●第二章 二つの月
 何層もの雲を貫き大地を照らす日差しは、海底の珊瑚礁を浮き上がらせ、地上は紅型のような極彩色に染まる。 花びらが飛んでいるような蝶、白粉を塗りこめたような浜、風の青さも、三線の響きの黄金色も何から何まで鮮烈だ。
旅ぬ出立ち 観音堂 千手観音
伏し拝で 黄金杓取て 立ち別る

袖に降る露 押し払い 大道松原
歩み行く 行かば八幡 崇元寺
   
 
美栄地高橋 うち渡て 袖を連ねて
諸人の 行くも帰るも 中の橋

沖ぬ側まで 親子兄弟 連れて別ゆる
旅衣 袖と袖とに 露涙
 上り口説(ヌブイクドウチ):二才(ニセー)踊り
 

●第三章 江戸への旅立ち
 那覇港は海洋大国の正門に相応しく光に満ち溢れていた。穏やかな波間にきらめく日差しの瞬きは、星空をすべて写し取ったようだ。江戸上りの使者は総勢百七十人、彼らが大和の国で披露する踊りの花形が楽童子だ。
打ち鳴らし 打ち鳴らし
 サーセンスルセンスルセー
四つ竹は 鳴らち
 サーセンスルセンスルセー
    今日や御座御座出でて
 遊ぶ サー 遊ぶ嬉りさ
今日や御座御座出でて
 遊ぶ サー 遊ぶ嬉りさ
踊りくわでさ節(女踊り)
 

●第四章 美女と醜女
 琉球は中国に朝貢し王国として冊封を請けていたが、1609年の島津侵攻を受け日中両属になった。どちらかに偏ったり双方を無視することは王国の解体につながる。琉球の自主立を維持するには武器が必要だ。その武器は音芸である。
シュンドー 諸屯長浜に
 ヨー アシュンドー
打ちゃる引く波ぬ
 ヨー アシュンドー
諸屯女童ぬ
 ヨー アシュンドー
目笑れ歯くち
 ワタチャンドー アシェウキトクサ
    シュンドー 諸屯女童ぬ
 ヨー アシュンドー
雪ぬるぬ歯ぐち
 ヨー アシュンドー
いつか夜ぬ暮りて
 ヨー アシュンドー
御口吸わな
 ワタチャンドー アシェウキトクサ
↑諸屯節(打組踊:美女)   ↑スリカン節(打組踊:醜女)
油買うて給れ
ぢふぁん買うて給れ ンマサミ
捨て夫の見る前
身なでしゃべら スリカン
  阿旦垣でいんす
御衣掛け引ちゅり ンマサミ
だいんす元びれや
手取て引ちゅさ スリカン
打組踊:前組踊、玉城朝薫創始
 

●第五章 琉球旋風
 江戸に上る謝恩使一行は紅葉の中にいた。見渡すかぎりの色彩に楽童子たちは自分の着物と景色を見比べた。 紅型は現実に囚われない配色を施す。題材を自然物に求めているが、それはあくまでも図案であって、季節にも無頓着な天衣無縫の大胆な配色であった。
御慈悲ある故ど イヤイヤ 吾無蔵ガヨー
御万人のまぎり イヤイヤ 吾無蔵ガヨー
上下も ヒヤーマーター
揃て アスシュラヨー

    仰ぎ拝む フイ
嬉サミ フイ
シュラ ジャンナーヨー
ハイヤ 嬉サミ シュラヨー フイ
女特牛節(イナグクテイブシ:女踊) 
 

●第六章 能と琉舞
 江戸城での進見の儀は大広間で行われた。大広間に集まった幕府重臣たちは謝恩使一行の衣装に目が眩んだ。正使たちの官服に施された刺繍は圧巻である。着物も大和とは異なる仕立てだ。それに楽童子たちは華麗な衣装に負けない美形揃いだ。
思事のあても ヨー
よそに語られぬ 面影と連れて
忍で拝マヤーゥーンナー

枕並べたる ヨー
夢のつれなさよ 月や人下がて
冬の夜半 アリ里主ヨー
    別れて面影の
立たば伽めしやうれ
馴れし匂ひ袖に
移ちあもの
ヨーンナー サーサー
ションガネー
スーリー ションガネー
諸屯節(入羽の踊)
 

●第七章 歌舞の熾火
 一年ぶりに琉球に戻った櫂船の謝恩使たちは、琉球の名誉のために江戸に上った美の使節だ。玉城朝薫は「今ある琉球の歌舞は小国に咲いた野の花、いまに大輪の花を咲かせ大和や清國が羨望の眼差しを送る、琉球ならではの花を咲かせたい。」
さても旅寝の仮枕 夢の覚めたる心地して
昨日今日とは思へども 最早九十月なりぬれば
やがて御暇下されて 使者の面々
皆揃て弁財天堂伏し拝て

いざや御仮屋立ち出でて 滞在の人々引き連れて
行屋の浜にて立ち別る
名残り惜しげの船子ども 喜び勇みて 帆揚ぎぬ
祝の杯回る間に


山川港に走い入りて 船の改み 済んでまた
錨引乗せ真帆引けば
風やまともに子丑の方佐多岬も後に見手
七島渡中も安々と
    浪路はるかに眺むれば 後や先にも友船の 帆引き連れて走り行く 道の島々早過ぎて 伊平屋渡立つ波 押し添えて
残波岬もはいならで

ありあり拝み御城元
弁の御嶽も打ち続き エイ
袖を連ねて諸人の迎えに出でたや
三重城
下り口説
 

●第八章 大国からの使者
 福州では琉球への封船を出す準備に追われていた。清国の根幹を成す冊封体制は大国の意地でもあった。謝恩使で江戸幕府が予算不足で頭を痛めていたのと同様に、清国でも莫大な予算が当てられ琉球への冊封使派遣は破格の待遇でもあった。
里と思ば、のよで
いやで言ふめ御宿
冬の夜のよすが
互いに語やべら
    照る太陽(テダ)や西に
布だけになても
首里みやだいりやてど
ひちより行きゆる
  悪縁の結で
離ち離されめ
振り捨てて行かば
一道だいもの
金武節(組踊「執心鐘入」)
 

●第九章 奢りと泥濘
 巨大な琉球石灰岩の頂にある王宮はどこよりも早く朝日を浴びる。朝もやの中に浮かぶ紅の城は、大地と空の境目を生み出す。王宮より下はまだ夜だ。一番鶏が鳴く前に瑞泉門に水を汲みに来たのは、冊封使の世話を受け持つ久米の若者だ。
去年のおれずんに
去年の若夏に
親に捨てられて
朝夕わが顔で
玉黄金一人子
あいしゆらしちおらぬ
    遊びぼれとても
友むつれとても
待ちかねて居たん
夜の暮れるぎやで
物言声すらぬ
足音もないらぬ
子持節(組踊「女物狂」)
 

●第十章 心月の輪廻
 冊封使一行が琉球を離れるが日やってきた。五百人の使節団を九ヶ月ももてなすのに王府の年間予算の半分を費やした。しかしこの度の冊封により清国の琉球への扱いは格段上になり、外交上品格のある処遇を受けることになった。
アマミクが始みぬ浦田原を巡ぐやい
泉口悟やい湧ぬ口悟やい
縦溝割いて開きてぃ横溝割い廻わち
畦型造て枡ぬ据してぃ
足高んうるち角高んうるち
    苦土やちぢいしてぃ甘やきぢ浮きてぃ
夏水に漬きてぃ冬水に下がるち
百とぅ十日なりばしんぬ田原に持下るち
しじしじゃてぃ引分てぃ枡ぬ型に神植えてぃ
植えてぃ三日や白ふぃぢんさすい
斎場御嶽ノロクェーナ
 

●第十一章 満干の絆
 アマミキヨが降臨した久高島では十二年に一度のイザイホーがある。イザイホーは島の女が神女として就任する儀式だ。神女となるには神の承認がいる。だが、四百年以上続くうちに神の気配がすっかり消え失せてしまっていた。
ヒーウスマーヤ ナマイガーヤ
ムムトゥマール ティントゥマール
イジャイホーヨ ナンチュホーヨ
ハシラリ チュナミナリ
タナミナリ ナミジュラサ
    久しぶりに 今日の吉き日
十二年ごとに 巡ってくる
イザイホーよ ナンチュホーよ
洗い髪で 一重になり
二重になり 円陣の美しさよ
久高島イザイホー「ハシララリアシビ」ティルル
 

●第十ニ章 旅路の果て
 琉球の進貢船が港に着いたとき、福州は猛烈な寒波に凍りついていた。刃物のように肌を切りつける風音があっても、水墨画のように色彩を失った世界であった。福州の港は那覇港より賑やかだったが、寒さのせいで音がまるでしなかった。
逢ぬ夜の辛さ アヌ無蔵ヨー
よそに思なちやめ アヌ無蔵ヨー
恨めても ハイヤマタ
忍ぶ アヌ無蔵ヨー
恋の習ひや

恩納松下に ヤリヤリヨー
禁止の牌の立ちゆす
恋忍ぶまでの ヤリヤリヨー
禁止や無さめ スヤスヤ
    七重八重立てる ヤリヤリヨー
籬内ぬ花も
匂ひ移すまでの ヤリヤリヨー
禁止の無さめ

逢はぬ徒らに ヤリヤリヨー
戻る道すがら
恩納岳見れば ヤリヤリヨー
白雲のかかる
恋しさやつめて ヤリヤリヨー
見欲しやばかり スヤスヤ
伊野波節
 

●最終章 新生
 1751年1月、尚敬王在位39年で薨去、蔡温との改革により琉球王国はもはや南海に浮かぶ小国ではなく、殊に芸能においては独自の舞台芸術を生み出し、 組踊から派生していく様式は琉球独自の美意識として定着していった。
むかしぬ あまみくが しぬくが きざしや
くにたてち しまたてち みそりば
しまじりん うちゃがとい たぶみつい
くんがみん うちゃがとい

にしぬすが ひがくいやい
ひがぬすが にしくいやい
ぐそだん かたれみそそち まやきぢん
うちほやに むいぬかた わかさい
かりぬかた わかさい
    むかしアマミクが
国を建てようとなさったら
島尻が浮き上がった
国頭も浮き上がった

西の波が 東に超えて
東の波が 西に超えて
どうしようかと 神が相談なさって
森の形をお造りになり 国の形を
お造りになった
神唄
 この神歌は国造りの唄だ。この国は海から迫り上がって生まれた。そこに人が住み家族が増え村が生まれた。狩猟採集の営みを長く続けたが、ある時、海の果てから農耕をもたらす渡来人がやってきた。

 彼らは種を蒔き大地の暦を読んだ。村は大きくなり彼らを神として崇めた。彼らが死に絶えると鍾乳洞に葬り、国土と融合する岩として奉った。これが「月しろ」信仰の成り立ちだ。



・池上永一著「黙示録」 1913年9月 角川書店刊
 池上は1970年沖縄県那覇市生まれ、後に石垣島へ。1994年早稲田大学在学中から著作が賞を受く。